三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第37回は「選択と集中」に潜むワナについて警告する。
「合理的」戦略に潜むワナ
ある企業の黒字事業の唐突な売却にネガティブな反応を見せた投資部の面々に、主人公財前孝史は真っ向から反論する。強みを持つコア事業に経営資源を絞り込む新社長の決断だと喝破した財前は、先輩たちを説き伏せて株式の買い増しを狙う。
作中で描かれる企業の戦略はいわゆる「選択と集中」ととらえてよいだろう。経営学者ピーター・ドラッカーが唱えた「選択と集中」は、20世紀末に米巨大企業ゼネラル・エレクトリック(GE)を率いたスター経営者ジャック・ウェルチの名声とともに広がった。
単純化すると、コア事業と非コア事業を切り分けて前者にリソースを注ぎ込んで後者は整理する経営手法と考えればよい。ウェルチは「世界でナンバー1かナンバー2になれない事業からは撤退する」という言葉も残している。
合理的な戦略と思われているこの「選択と集中」というフレーズを、私は長年、ある種の呪いのようにとらえてきた。両者をセットで考えること、特に「集中」という賢明そうにみえる手法には落とし穴が潜んでいる。
たとえば当コラムで取り上げた、ゲオホールディングス傘下のビジネス・セカンドストリート。もし10年前に字義どおりに「選択と集中」を徹底していれば、国内トップ2の一角だったCD・DVDレンタルがコア事業であり、中古品販売は非コア事業と位置づけられていただろう。経営資源を集中しなかったからこそ、古いコア事業から新しいコア事業へのバトンタッチできたのは明らかだ。
思考停止の危うさ
「選択と集中」には、ふたつの前提が潜んでいる。ひとつは的確な選択ができること、もうひとつはリソースが有限という前提だ。
前者、つまり人間の判断力があまり頼りにならないことは、ちょっと世慣れた人なら分かるだろう。ほとんどの場合、選択が的確だったと分かるのは、その事業なりアイデアなりが成功した後だ。あらかじめ「当たり」を読めるほど世界は単純ではなく、人間は賢くない。
リソースは有限、もう手一杯なのだから何かを新たにやるには別の何かを諦めなければならないという発想も、ともすると縮小均衡に向かいかねないワナだ。企業内の資金やマンパワーは確かに有限だ。だが、ヒトもカネもモノも、外部のリソースを活用するという選択肢は常にあるものだ。集中の名のもとに潜在的な成長の芽をしぼませるのは本末転倒だろう。
煎じ詰めると、「選択と集中」には思考停止や見切り発車の危うさがある。これは企業経営に限らず、国家の政策や個人のキャリアプランにも当てはまる落とし穴だ。曖昧で複雑な状態に耐えきれず、安易な決め打ちに走ってしまう例を、あなたの周囲でも見かけないだろうか。
「当たり」を見極める異能を持たない常人にできるのは、せいぜい、やってみたけどダメだったもの、「はずれ」を認めることくらいだろう。組織にとっても個人にとっても、過去の過ちを認めて手を引くのは容易ではない。「選択と集中」という高望みの前に、明らかなマイナスを清算できる勇気を磨くべきではないだろうか。