三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第32回は「不労所得」について深掘りする。
不労所得=労せずして得るお金?
主人公・財前孝史の自宅を父の異母兄が突然訪れる。96歳で亡くなった祖父が3000万円相当の株式を遺産として残したと告げられた父・孝彦は、「働いて得た収入以外の金銭」を所有することは主義に反するとして、受け取りを固辞する。
以前、ある自治体で金融教育に携わる現場の先生方に講演する機会があった。冒頭、私が「正直なところ、『投資で利益を上げるのは何かずるい』と思う方、いらっしゃいますか」と問いかけると、2割ほどが手を挙げた。
ことほど左様に不労所得に対する懐疑心、嫌悪感は根強い。何といっても字面が悪い。「労せずして得るお金」に違和感を覚えるのは仕方ない気もする。
もっとも、不労所得のすべてが労せずして手に入るわけではない。遺産相続や公的な給付金などは確かに「棚ぼた」の感が強いが、投資による収益は天から降ってくるわけではない。
大事なお金をリスクにさらして相応のリターンを得るのは正当な報酬であり、投資家は市場経済のエンジンを回すために不可欠な役割を担っている。額に汗することはなくても、マーケットが荒れれば冷や汗や嫌な汗をかく。ずるいと言われる筋合いはない。
全人類が投資家になったら…
この種の議論では、いわゆるピケティの不等式が不公平感の象徴として取り上げられることがある。「r>g」という数式をどこかで目にしたことがある方は多いだろう。「r」は株式や不動産の投資のリターン、「g」は経済成長率を指す。
式は、投資を通じたお金の増え方の方が経済成長よりペースが速いことを意味する。時代や国を超えてこの関係が成り立つというのがピケティの仮説の中核だ。その成否を巡って議論はあるが、私はこの不等式はおおむね正しいと思う。むしろ、投資のリターンがそれなりに高くなければ、わざわざリスクをとるモノ好きなどいないはずだ。
この不等式は「不労所得最強」の証なのだろうか。そんな単純な話ではないのは、ちょっと考えれば分かる。
まず左辺のリターンは右辺の経済成長がなければ生まれない。全人類が専業投資家になれば、経済は止まり、じきに全員が飢え死にする。
ピケティの不等式が意味するもの
では、その逆はどうか。様々な要因があるが、市場経済の最大の成長エンジンは民間セクターのイノベーションと考えて良いだろう。起業家が新たな価値を提供するビジネスを育てれば、株式市場に高いリターンをもたらす。左辺は、成長のメカニズムが生む必然だ。
つまりピケティの不等式は、大きな構図で見れば、部分と全体を比べている。集団を引っ張る先頭ランナーが平均よりも速いのは道理だろう。
問題は不等式そのものではなく、その結果として起きる経済格差だ。適切に分配がなされないと、投資できるほどのお金持ちはますますお金持ちになり、賃金などを通じて経済成長並みの恩恵しか手が届かない層との格差は開くばかりとなる。
超富裕層への課税や福祉の充実など分配政策を整えるとともに、有効な解決策になるのは、多くの人に投資の恩恵が及ぶようにお金の流れを変えることだ。
株式市場は万人に開かれている。経済成長への貢献と、投資の果実を受け取ることは両立する。これが「貯蓄から投資」の根幹だろう。もちろん果実を大きくするためには、イノベーションが欠かせない。ピケティの不等式は、断絶の象徴ではなく、左右両辺をつなぐための手がかりなのだと私は思う。