そのほか、アレキサンダー・ワンやジェイソン・ウーなど世界的に活躍するファッション・デザイナーの服作りを、大丸と自身が経営するパターンメーカー「大丸製作所2」が支えている。その数、12年間で延べ2万着。ニューヨークのファッションシーンは、彼なしでは成り立たないと言っても過言ではない。そんな大丸が2015年に立ち上げたブランド「OVERCOAT」がオンラインで商品の販売を開始した。なぜ、彼はD2Cでコートの販売を始めたのか。大丸のキャリアを紐解きながら、彼の考えを聞いた。
“身ひとつ”でニューヨークのファッションシーンへ
チャイナタウンとして知られるカナル・ストリートの一角にアトリエを構える大丸製作所2は、大丸のほか、7名の職人たちが服づくりに携わっている。その全員が日本人だ。
「日本企業と取引していると、技術力は高いのに、未だにファックスでやり取りしていたり、ごく少人数で零細経営していたりする。このままでは世界に通用しないんじゃないか、って危機感を覚えて。いまは『大量生産で大きく儲けた人が正しい』みたいな世の中だけど、ちゃんと技術力を持った人や本質的なものづくりをしようとしている日本人が活躍できる場をつくって、自分もそれに貢献できたらと思って会社を立ち上げたんです」(大丸氏)
大丸自身は福岡で生まれ育ち、16歳から独学で服づくりを始めた。実家は祖父の代から続く家具メーカーで、幼い頃から職人たちのものづくりを間近で見ていたという。
「長男だから継がなきゃいけなかったんですけど、父とは違うことをやってみたくなって。『固い木を使うんじゃなくて、やわらかい布で何かつくってみよう』みたいな。自分としては真逆のことをはじめたつもりだったんです」(大丸氏)
文化服装学院卒業後、日本のトップメゾンでパタンナーとして6年ほど勤務した後、フリーランスとしてキャリアを積んでいた大丸に、DELL創業者のマイケル・デルの妻、スーザン・デルからオファーが届く。新たにファッションブランドを立ち上げるにあたり、スーパーバイザーとして参画してほしいという依頼だった。
「ビザもすべて用意するから、身ひとつで来てくれないか、と。僕って割と小心者で、度胸がないんですよ。そのオファーも怖くてしかたなかった。でもコンプレックスを克服するために、あえて怖いことに飛び込んでみようと思ったんです」(大丸氏)
だが、いざフタを開けてみれば、同時多発テロ以降の移民政策によりビザの申請手続きが厳格化された影響で、企業の担当弁護士は大丸のビザを取得することができなかった。それが判明した途端、大丸は創業者サイドと一切の連絡を断たれ、「身ひとつ」でニューヨークに取り残されることとなったという。