「東京の家も引き払っていましたし、福岡に帰ってもどうしようもない。当時は2006年でまだiPhoneすらなかった頃でしたが、ネットでググって、ルームメイトを募集している人たちを見つけて、マンハッタンの“奥地”で暮らしはじめたんです」(大丸氏)

日本に戻らず、アメリカに残る決断をしたものの、まったくあてはない。英語もままならない大丸を見かねたルームメイトのひとりは、大丸が服づくりに長けていることを知り、こんな助け舟を出した。「友人の友人がFIT(ニューヨーク州立ファッション工科大学)を卒業してデザイナーを目指しているんだけど、彼女に服をつくってみたらどう?」こうして大丸は語学学校に通うかたわら、デザイナーたちの依頼で洋服をつくるようになった。

「むさくるしい部屋で暮らしているヤツが、まさかちゃんとした服をつくれるとは思っていなかったんでしょうね。はじめに服をつくった子にはものすごく驚かれて。『すごい、私の友達にもつくって欲しい』って、どんどん周りを紹介してくれて……15年近く経ったいまでも、その延長線上で仕事をしている感じなんです」(大丸氏)

先述のアレキサンダー・ワンやジェイソン・ウー、トム・ブラウンといったファッションデザイナーらも、まだ何者でもない時期に出会ったという。

「彼らもまだ家のキッチンで作業しているような頃で、お互いに『こいつ、大丈夫かな』って思いながら仕事していたと思うんですけど(笑)、どんどん有名になっていって、僕の名前もおのずと広がっていった。僕のつくった洋服のおかげで、とは言わないけど、彼らのPR力や資金力もあってブランドが売れていったのは、僕にとってとてもラッキーだったと思います」(大丸氏)

パタンナーだからこそつくれる「あらゆる人にフィットする服」

LVMHグループ傘下のブランドでパタンナーを務めた後、2008年に自身の会社「大丸製作所2」を立ち上げてからは、コンサルティングからパターン作製、サンプル縫製を行い、量産工程へと受け渡せる稀有な存在として、名だたるブランドとともに数々の服を生み出してきた。オープニングセレモニー、ヒューゴ・ボス、ヘルムート・ラング、セオリー……。取引先や顧客リストを一目見れば、錚々たる顔ぶれだ。最近では、ラッパーのトラヴィス・スコットがアウトフィットをオーダーしたという。

「自分でも不思議なのは、僕は16歳の頃に『服をつくりたい』と思って、貝島正高さんの『紳士服裁断裁縫の要点』という本を買って、その通りに服をつくってみて、自分で着る……というのをずっとやってきたんです。それが当たり前なんだと思ってニューヨークに来てみたら、川上から川下まで全部自分でやる、みたいな存在が本当にいなかった。パタンナーや縫製する人って、ものすごく重要なはずなのに、って」