暗闇の中で、人は試される

 照度ゼロ、純度100%の暗闇の中へ、8人がグループを組んで入っていく。自分以外は見知らぬ人たち。暗闇のガイド役は普段視覚を使っていない視覚障碍者だ。参加者は全員、白杖をついて地面を確かめながら前に進んでいく。いや、実際はほとんど進めない。満員電車の中みたいに集団はごそごそ固まっている。空間は広いとわかっているのに動けないのだ。声をかけあわないと相手がどこにいるか分からないのでぶつかる。

 暗闇では手触り、香り、そして何より音が頼りだ。人の声にこれほど集中したことはなく初めてだ。誰かが「こっちに何かあるよ~」と皆に伝える声が聞こえる。子どもの頃にこんなことがあったような気がする。暗闇の中にいる時間は1時間ほどだがとても短く感じる。驚いたことに、このたった1時間で、グループの人間同士はまるで旧知の仲間のように親密で一体的な感情を持つことになる。

 ここは、東京都渋谷区・神宮前の地下空間にある「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(DID)という暗闇体験施設。暗闇のエキスパートである視覚障碍者のサポートのもと、参加者がグループを組んで暗闇の中を探検し、さまざまなシーンを体験するソーシャル・エンターテインメントである。その過程で視覚以外のさまざまな感覚の可能性に気づくとともに、コミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出す。

 ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの金井真介代表によると、「声が全て」だという。参加者は普段と違い、服装や表情、ジェスチャーで確認することができないためにお互いの声に全神経を集中して耳を傾けることで相手の位置や意思を確認する。暗闇という空間には人の本質の部分が現れたり、それぞれの癖に気づかせる要素が埋め込まれているのだろう。そのため結婚を決める最後の決断をする際にDIDに来るカップルも多い。暗闇の中で人はある意味「試される」。

 見えることで人は先入観を持つ。肩書きで人は立場を意識する。そうした現実社会の鎧(よろい)を暗闇は全て取り払いニュートラルにリセットさせる。暗闇には人間を原体験に引き戻すような力がある。そこでは裸の人間の価値が露わになる。これは現実社会でエラい人たちにとっては怖いことかもしれない。地位や権威や年功序列はここでは誰も気にしないし、気づかってくれない。ひとりの人間として他の人と接するしかない。だが逆に言うと、現実社会における自分の立場から完全に解放される体験でもあるのだ。そして解放されたとき、人それぞれの気づきが生まれる。