ネスレのコーヒー豆バイヤーがマーケターへ転身した理由ネスレ日本の媒体統轄室マネージャー・村岡慎太郎氏 提供:Agenda note

徳力 面白いですね。やはりこの世代の人たちは、ケータイをインターネットとは呼ばないんですよね(笑)。先日インタビューした、ホットリンクの飯高さんもそうでした。インターネットを本格的に使いだしたのは、会社に入ってからですか。

村岡 はい、2003年からです。コモディティ部という原料を扱う部署に配属されて、コーヒー豆の買い付けを担当したんです。先物相場なので、インターネットでチャートを見て購入のタイミングを探ったり、ニューヨークやロンドン、原産国とメールでやり取りする必要があったりして、ぐっと触れるようになりました。

徳力 村岡さんがマーケティング担当になったのは、いつ頃ですか。

村岡 本格的には、5年前の2015年1月ですね。最初は、デジタルマーケティング担当ではなく、広告担当でした。ただ、デジタル領域には、その前の2012年頃にデジタル開発室に配属されたときから触れていたんですよね。 

「UGCの先駆者」との衝撃的な出会い

徳力 買い付け部門からデジタル部門への異動は、珍しいですよね。何か理由があったのでしょうか。

村岡 実は当時、買い付けの交渉に飽きていたんですよね(笑)。そのときに、ネスレのコーポレートサイトのプロダクション選定に、プロジェクト的に加わることになり、初めて揖斐理佳子さん(元ネスレ日本・デジタルメディア開発ユニット ユニットマネージャー)に会いました。

徳力 おお、揖斐さんですか。確か、社長秘書をされながらイントラネットの構築を始めて、その後にネスレ日本の公式サイト「ネスレアミューズ」も担当されていた方ですよね。

 ユーザーのクチコミ投稿を公式サイトに掲載するという、当時としてはあり得ないほど早くUGC(User Generated Contents=ユーザー生成コンテンツ)に取り組まれていたことを覚えています。いい師匠に恵まれましたね。

村岡 はい。それで、そのプロジェクトが始まる前に、揖斐さんから事前資料がメールで送られてきて「目を通してください」と。当時の私は、まったくデジタルの知識がなくて、揖斐さんから「質問は、ありませんか」とメールが来たときも、よく分からないので「今のところないです」と返信したら、揖斐さんから「興味がないんですか、それとも勉強不足ですか」と返ってきて…。

「やる気がないと思われてしまった!」と焦りました(笑)。そこから自分で学ばないとダメだなと思って、本を買って読み漁りましたね。