徳力 それまでは、デジタルにはあまり興味がなかったんですか。
村岡 というよりも、バイヤーという立場でしたので、周りが勝手に情報をくれていて、私自身が受け身だったんです。あとは当時、ドワンゴの「ニコニコ生放送」で党首討論が行われているのを見て、これからはデジタルにきちんと取り組まないと生きていけないなと危機感を持っていたんです。
その後に、デジタル部門で人員募集があったので、すぐに手を挙げました。会社からは「お前、何考えているの?」と言われましたけど(笑)。
徳力 すごいな。バイヤーからデジタルに転身というのって、もはや転職に近い判断ですよね。個人的にパソコンが好きだったわけでもなく、それまでデジタルにも全く関係がなかったんですよね。
村岡 はい、むしろ苦手でした。そうして異動した初日に、揖斐さんから「アンケートフォームでキャンペーンをつくりなさい。それで、そのアンケート結果を全部読みなさい。そうじゃないとユーザーの気持ちは分からないから」と言われて。
それで、すぐに実施して回答を全部読んだところ、揖斐さんから「どう思ったの?」と聞かれて、私がサマリー程度の答えしかできないでいると、揖斐さんから「そうじゃない」と一蹴されたことを覚えています(笑)。そのときは、ユーザーのインサイトを突いた答えができなかったんですよね。
「心臓が止まった」生き方を変えた一大事件
徳力 徹底的にユーザー視点をたたき込まれたんですね。ただ、揖斐さんが衝撃的だったという理由だけでは、デジタル部門に異動しようとは思わないですよね。他に何か異動したいと思った理由があったのでは、ないでしょうか。
村岡 そうですね。もうひとつ理由があったかもしれません。実はデジタル部門に配属される前、30歳のときに調達部の出張でトルコに行ったのですが、現地で急性心不全になり、心臓が止まって倒れてしまったんです。
かなり深刻な症状で、お医者さんからは「もうダメです」と言われて、日本にいる家族にも連絡がいきました。私の方は、もう毎日起きているのか寝ているのかも分からない状態で、目が覚めたらまだ生きていたという感じでした。そのとき「明日はないかもしれないから、やりたいことを優先しよう」と決意したんです。
徳力 強烈な体験ですね。デジタルに出会ったときに、直観的に「これだ!」と思ったということですか。
村岡 そうですね。あとは、病院でお世話になったトルコのお医者さんや看護師さんから「Facebookやっている?」と聞かれて、それをやれば彼らとずっとつながれるんだと思ったこともあります。実際、今だにつながっていますね。