自分の中の弱さを認めれば
もっと楽になる

――患者さんは弱っている自分に対する罪悪感を強く感じている、とお話されましたが、確かに、「自分よりも苦しい人は他にもいる」というふうに、自らの苦しみを過小評価する傾向が日本人にはあると感じます。しかし、苦しみのサイズは人と比べられるものではなく、本人が「辛い」と訴えていることを本人、周囲、社会が認めるべきですね。

 本当にその通りです。精神科医としても医師としても大切な考え方だと思います。「心の痛み」はそれぞれの主観に基づきます。例えば学校に行きたくない子どもが「お腹が痛い」というのは、サボりたいからではなく、精神的な苦しさをそうとしか表現できないからです。

 身体的な病変がないと、たとえ医師であっても頭のどこかで「痛いはずはないだろう?」と思いがちです。しかし、相手が表現している痛みを信じること、否定せず受け入れることが大切だと思っています。周りの人もそうあってほしいです。

――長く培われた精神文化という壁は固くて分厚いですが、そんななかでも私たちがメンタルを壊さないよう、その手前でできることは、どんなことでしょうか。

 自分の中の弱さを認めることが大切です。脆弱性は欠点、弱点、なくすべきものとして扱われがちですが、僕は「脆弱性はむしろ人間にとって望ましいもの」だと思います。なぜなら脆弱性は感情の豊かさにつながり、他者の弱さも受け入れる寛容な心を育てるからです。

 脆弱性を有害なものであるかのように扱い、その役割を理解できないかぎり、人間の固有性の尊さも理解できないでしょう。他者に尽くすために自分の器を超えるほどの無理をしてはいけません。落ち込んでいるとき、調子の悪いときには、なによりその感情を表現してください。

 もう一つ、「もっと怒ろう」と言いたいです。必ずしも普段の自分のキャラと一致しない意見でも、自分の考えていることを相手に表明しましょう。素直に、自分が傷ついた理由や不機嫌な理由、納得できていないことを伝えます。相手に言えなかったときにはネガティブな気持ちを内側だけにとどめないように、怒っていることを紙に書き殴ってもいい。相手の悪口をいっぱい書くことも僕はお薦めしていますよ。

 また、「アニメ療法」を研究している僕自身としては、ご自身の気持ちを重ねることができる物語作品にもたくさん出合ってほしいと思いますね。自分ではうまく表現できなかった気持ちを作品の中に見いだしたり、自分の生きる現実に新たなヒントを受け取ることも、作品の鑑賞者となることによる精神的な効果です。