この6年間は、結果的に、アメリカの心理学者、E・H・エリクソンが言う「心理社会的モラトリアム」の時間として作用したといえよう。
10代の若き時代に、中学、高校、大学で学ぶ同世代を横目に見つつも、雑音に惑わされることなく、たった1人で、6年の長きに渡る思索に耽った経験は、経営者として求められる孤独への耐久力、決断力、胆力を養ったと見えるからだ。
そうした“修行”にも近い経験を積んだ者はなかなかいるものではない。こうして見ると、洋明という人は敵に回すと実に怖い経営者といえるのではないか。
モラトリアムはまだまだ続く。大学の4年間での学び、そして約10年勤めた企業での経験である。ごく一般的な大学生活。「後継ぎ」を意識しての得意先企業での経験は、会社を継ぐうえでの人間的な幅を拡げ、実務を学ぶ時間となった。
10年の得意先企業での「修行」を終え、祖父が創業者である会社へと入社後から今日まで、経営を引き継いだ洋明は、ひたすら創業者、2代目の遺した“負債”を処理し、さらなる社業の発展に尽力する日々を送ってきた。
「俺が辞めない限り倒産しない」
静かな経営者の並々ならぬ情熱
今、吉岡興業は年商38億円。資本金5000万円。従業員数48名(吉岡興業HPから)で、主な取引先には機械大手、鉄鋼大手、食品大手と数多くの業種を抱えている。
インタビュー中、しきりに洋明は、「成功者というにはまだまだ……」という言葉を口にする。しかし、こんな言葉もまた口にした。
「うちの会社は倒産しません。俺が辞めないから。俺が辞めない限り倒産は有り得ない――」
目的は勝つことではなく、決して負けないことのようだ。こう語る洋明は、その表情こそ柔和な笑いを見せていた。しかし、その目は笑っていなかった。
そこに「従業員は家族」として「大家族主義」を掲げ、48名の従業員たち、そしてその家族の生活を担う経営者としての洋明の顔を見た思いがした。
剛腕だけではない緻密さと細やかな心配りがあるからこそ、今日の吉岡興業があるのだろう。もはや創業者や2代目ではない。現経営者である洋明の実績と手腕の成せる技だ。
なお、この取材には後日談がある。洋明は取材時、「記事で退学した愛光学園のことに触れると(愛光学園側に)迷惑がかかるのでは」と心配していた。
その話を愛光学園OBの1人にぶつけてみた。関西・神戸にこんな経営者がいると――。
そして、吉岡興業のHPと洋明について書かれた記事、特に「奨学金肩代わり」「ひきこもり採用」のそれをゆっくりと行間までもなぞるように読んだそのOBは、記者の問いには応えず、「われらの信条」という愛光学園に掲げられているモットー、特に「輝く知性と曇りなき愛」「愛(Amor)と光(Lumen)の使途たらんこと!」について滔々と語った後、こう言った。
「知性と愛と光――。まさしくそう。愛光学園OBの1人として、この方を誇りに思う。他のOBたちも同じではないですか」
心なしか、この愛光学園OBの目が潤んでいるように見えた。
(敬称略、階級は当時のもの)
(フリージャーナリスト 秋山謙一郎)