池田大作氏死去、創価大OBが語る「先生」の尋常ならざるカリスマ言動Photo:JIJI

巨星、墜つ――。
学生の筆者が体感したその存在感

 池田大作氏が霊山へと旅立った。享年95歳だった。2010年頃から公の場に姿を見せなくなって、13年あまり。ついにこの日がやってきた。

 その池田氏には、世に知られた創価学会名誉会長の他に、もう1つの肩書がある。創価大学の「創立者」だ。学会員の子弟が数多く通い、卒業生からは学会における地方組織の幹部や公明党地方議員を数多く輩出していることから、時に“学会員たちの東大”と呼ばれるのが創価大学である。

 この創価大学に、あろうことか非学会員、未入信、無信心だった若き日の私は、冷やかし受験をしてなぜか合格。厚かましくも大学院まで居座って、6年間も創価大学キャンパスで過ごした。その私が“創立者・池田先生”の思い出を綴ってみたい。

 もっとも、もう30年近く昔の話である。多少の記憶違いもあるかもしれない。読者の皆様のご寛容を賜りたい。

 きっと北朝鮮という国の指導者も、こんな感じなのだろうか――。

 1991年4月、創価大学第21回入学式、学内では誰言うとなく「東洋一の大講堂」と呼ばれていた、完成したばかりの大学構内にある池田記念講堂。その壇上に現れた創立者・池田大作を“見た”ときの第一印象だ。

 池田氏が現れると、新入生は皆、割れんばかりの拍手を送る。拍手は新入生だけではない。大学には珍しく、新入生の父兄も大勢来ている。祖父母も含めた一族郎党、家族総出で、「池田先生にお会いしに来た」という人も珍しくはなかった。

 なお、学会員たちにとって、壇上の池田氏は“見た”ではなく“お会いした”と表現するのが、学会の世界でのお作法である。

 創価学会第3代会長から名誉会長へと退いた後も、「永遠の指導者」として学会に君臨した池田氏が、1971年に設立したのが創価大学だ。学会員たちの間では、「創大」や「S大」の略称で通じる。創価大に入ってくる新入生たちにとって、人それぞれ信心に深浅はあれど、池田氏は神聖で犯すことのできない、唯一絶対のカリスマである。