だが、体調不良の状態で臨んだ灘中入試では、その縁を結べなかった。そうした事情から東大に行ける学校として選んだのが愛媛県の名門、愛光学園中学だ。
しかし12歳の少年にとって、地元兵庫にある灘中不合格は想像以上にショックだったのだろう。洋明は次第に自らの世界へと閉じこもっていく。結局、中学2年で愛光学園での学びは成らず。退学を余儀なくされた。
「それから、年齢で言えば高校を卒業するくらいの歳まで、今で言うひきこもりですね」
このひきこもり時代、映画を見たり、街を歩いたりすることもあったが、もっぱら思索に耽っていたという。
一念発起で大検を受検
「モラトリアム」が道を開いた
転機が訪れたのは、年齢でいえば高校3年くらいの年である。「このままではいけない」と思った洋明少年は、大阪市内のとある専門学校に入学すべく願書を取りに行く。その専門学校の受付担当者の一言が、それまでの長い思索を行動へと移させるきっかけとなったというから人生とはわからない。
「君は中卒だね。これだとうちの専門学校を出てもとても就職できない――」
学歴が中卒だと、たとえ専門学校で学んでも、その先がないという。だったらどうしたらいいのか。洋明少年は、この担当者に聞くと、定時制や通信制の高校に入り卒業する、もしくは大検(大学入学資格検定、現在の高校卒業認定資格)を受験、合格するといいという。当時を振り返りつつ洋明が語る。
「この中で一番手っ取り早いのが大検でした。当時、11科目受験すれば、大学入学資格が得られたので、勉強しましたよ」
もともと頭が良かったので、すぐに大検合格した。これをきっかけに自らの進路の舵を大学進学へと切る。
「大検の試験勉強をして、『これは大学受験もいけるんちゃうか』と思いましてね。それで年齢でいえば2浪で大学入学。卒業しました」
こうして関学大への入学を契機に、それまでの羅針盤のない航海のような日々に終止符を打った。愛光学園中学を途中で飛び出した日から6年の月日が経っていた。