安倍派が解体過程に入った一方で、岸田政権の「3月危機」は消滅か令和6年能登半島地震に関する非常災害対策本部会議で発言する首相の岸田文雄。震災対応の成否は政権の命運に直結するとされる Photo:JIJI

「能登半島地震、JAL機炎上、安倍派衆院議員逮捕」──。2024年は松が取れないうちに1年分の重大ニュースの続発で明けた。元日の午後4時10分、石川県能登地方を最大震度7の大地震が襲った。死者は日を追うごとに増え、被害の全容は今も明らかになっていない。

 首相の岸田文雄は地震発生から約1時間後に首相官邸に入り、その日のうちに非常災害対策本部を設置して自ら本部長に就任した。1月2日に行った記者会見は防災服姿で臨み、震災対応最優先の姿勢を強くアピールした。確かに震災対応の成否が政権の命運に直結することは歴史が証明する。

 1995年の阪神・淡路大震災では村山富市、2011年の東日本大震災では菅直人という2人の首相が初動でつまずき退陣に追い込まれている。ましてや内閣支持率が低迷したまま越年した岸田にとって、令和6年能登半島地震への対応は政権の命運を左右する。

 危機管理の要諦は「想像と準備」に尽きる。最悪の事態を想定し、でき得る限りの準備を整えることにある。そのことを実証したのが2日夕に羽田空港のC滑走路で起きた、日航機と海上保安庁の航空機との衝突、炎上事故だ。激しく炎を噴き上げるJAL機には乗客乗員、計379人が搭乗していたが、全員が脱出した。長く政府の危機管理を担ってきた専門家は乗員の対応を激賞した。

「忘れかけていた日本人の美徳、献身さに裏打ちされたプロ意識や集団の中での秩序意識のようなものを強く感じさせた」