周りには勉強熱心な人はあまり多くなく、大学に進学する生徒の数も全体の半分くらいで、進学する大学のレベルもそれほど高くなかった。定期試験もちょっと勉強しただけで90点台が取れるレベルの学校だった。

 そのため、評定平均が非常に高く、せっかくだからと推薦入試を受けることにした。しかし、文章を書くのはあまり得意ではなかった高橋さんは、入試に小論文がなく、そこそこレベルの高い大学の中から、数学科のある上智大学を選んだ。

「小さい頃から算数・数学がとにかく好きだったんです。小学校入学前にはもう足し算と引き算はできていたと思います。問題集があればひとりでできるところが数学の魅力です。家でもひとりでできる数学には没頭していました。数学ができることが、得意なことと苦手なことの凸の部分なんだと思います」。

 晴れて上智大学に合格して、地方から上京することとなった。だが、入学した理工学部数学科(現在は情報理工学科へ再編)は理系学科であるがために女子が少なく、1年の頃は学科で高橋さんを入れて女子が十数名しかいなかった。

 加えて、高橋さん以外の女子が全員自宅から通学していること、女子高出身だったことから、女子は常に固まって行動していたため、その輪に高橋さんは馴染めずにつらい思いをした。

 結局、同じ学年の人と仲良くなれることはなかったという。休学も挟み、卒業まで5年かかってしまった。しかし、相変わらず勉強は得意で特に幾何学のテストではベスト3に入っていた。

就職せず大学院に進むが中退し
学生バイトの下で働くみじめさ

 卒業後はそのまま大学院へと進学したが、持病のてんかん発作が頻繁に起こるようになったこと、親から「あなたは社会不適合者だから家庭に入るのがいい。地元に戻ってきて結婚相談所に入りなさい」と言われたことでだんだんとメンタルがすり減っていき、勉強にもついていけなくなったことを理由に大学院を中退してしまった。