英語の学習について、ユーチューブで配信していたことも大きい。チャレンジは、そのままコンテンツになるからだ。

「幸い、地方都市で実家に暮らして普通に会社員として働いていれば、それなりにお金は貯まりますので、費用はカバーできました。もともとお金をあまり使わない人間ということもありますけど」

 家族や周囲からは、反対はされなかった。会社も応援してくれた。仕事が見つからなければリモートでお願いするよ、とまで言ってもらえた。

友達をつくらず、旅もせず
ひたすら異国の街で働いた若者

 寿司工場で働いて1カ月ほど経った頃、通っていた語学学校から仕事紹介を受けた。ホテルやカジノなどが入る大型商業施設のレストランのウェイター。高い時給も魅力だったし、寿司工場より英語を使えるいい機会になることも決め手になった。

「面接で絶対に落ちたと思ったんです。まったく受け答えできませんでしたから。学校という信頼のおかげだったと思います」

 レストランでは、日本人は1人だった。接客ではまず、テーブル担当の自己紹介から始めなければならなかった。同僚にフォローしてもらったものの、英語に苦戦した。

 幸いだったのは、ビュッフェレストランだったこと。最初の挨拶を終えれば、あとは飲み物のオーダーのみ。それもよく聞き間違えたというが、お客に怒られたりしたことはなかった。

「何よりありがたかったのは、勤務シフトをバンバン入れてくれたことです。週5日入っていたこともあります。おかげで月に50万円ほど稼げた上に、英語力も伸ばすことができました」

 おそらく今年中にはTOEICは800点以上になるというが、その伸びをつくってくれたのが、この時期だったと語る。英語を使う機会が多かったからだ。

「あと、施設内に社食があり、働いている人はそこで何でも食べることができたので、食費がほとんどかからなかったんです。メルボルンで家賃が安いところを見つけて、月5万円ほどで住んでいましたから、お金はどんどん貯まっていきました」

 家は、オーストラリア情報を発信している日本語のサイト「日豪プレス」で見つけた。スマホも、格安SIMを現地で探し、通信費は月10豪ドルほどで済んだ。他に、特にお金の使い道もなかった。

「あまり積極的に友達をつくるタイプではないんです。旅行にも興味はなかった。家で自分一人の時間が好きなんです。ユーチューブもやっていましたし、SNSでの発信活動もありましたから、そこに時間を割いていました」