あなたは今まで、たまたま出会ったものが気に入ったり、また影響を受けたりして、その後の人生が大きく変わったという経験はありませんか?実は、純粋経験を生かして行動をしたことがこれまでもあったと思うのです。

 そうした経験のおかげで、いまのあなたがあるのです。意識はしていなくても、純粋経験によって自らここまで道を切り開いてきたということです。

 だから、普段の生活のなかで、心からやりたいと感じることを続けていけばいいのです。夢が見つからなくても、焦る必要などないのです。無理に好きなことを見つけようとするのではなく、赤ちゃんに戻ったつもりで、何の先入観も持たず、ものごとに出会った瞬間の体験に向き合ってみてください。きっと本当の自分に出会えるはずです。

悩みへの答えの一例
周りの目や、知識に基づく判断に惑わされることなく、純粋に感じたものを信じることが、夢を見つける近道ですよ。

物事に意味を見出せず
熱狂できるものがない

中高生の悩み
クラスメイトはスポーツやアイドル、お笑いに夢中になっていますが、羨ましいと思う反面、意味がないようにも感じてしまいます。どうすれば熱中できるものを見つけられるでしょうか。

「どうしたら熱狂できるか」ということはもちろんですが、一見意味がなさそうなものに熱狂することにいったいどんな価値があるのか、お伝え出来ればと思います。

 現役バリバリの、勢いのある哲学者を紹介します。ハンガリー出身の哲学者ベンス・ナナイ(1974-)です。ナナイは芸術を研究テーマにしており、真の美的経験とは何かについて論じています。
 
 ナナイの哲学を要約するとこんな感じです。「熱狂できないものなどありません。分散的な注意を払えば、何事も興味へと変わります」。

 例えば『青い帽子の男』という絵をご存じでしょうか?タイトルの通り、青い帽子をかぶった男が暗い背景の中で描かれているだけの肖像画です。

 この絵、普通に見れば、青い帽子をかぶった男性という印象だけで終わってしまいますよね?それは「集中した注意」を向けているにすぎないからです。でも、「分散的な注意」によって、中心に描かれたものだけでなく周囲にも目を向けると、「この服の生地は何?」「一見暗い部屋にも陰影があるな」「この人物はうつろな目をしている」などと印象が大きく変わってきます。つまり、分散的な注意によって、その絵に自分だけの価値が生まれるのです。

 熱狂というのは、分散的な注意を向けることで、自分からそこにどんどん意味を見出していくということです。