山形の農業高校から手ぶらで上京。コネや学歴なしでテレビ業界に潜り込み、憧れのビートたけしさんが出演する「元気が出るテレビ」のADとして働くというチャンスを掴んだマッコイ斉藤。大恩人である先輩ディレクターに鍛えられながら、着実に力を着けていくうちに……。本稿は、マッコイ斉藤『非エリートの勝負学』(サンクチュアリ出版)の一部を抜粋・編集したものです。
徹夜続きでふらふらの体が
ビートたけしさんの前で引き締まる
毎週月曜日の18時。
日本テレビのGスタジオで「元気が出るテレビ」の収録がはじまる。
その瞬間、静かな興奮が湧き上がってきて、仕事の疲れも、先輩への不満も押し流していく。
このGスタジオでの収録日に向けて、俺たちADは過酷なスケジュールで仕事をしてきている。土日はずっと寝ずにVTRの編集をして、徹夜でふらふらになりながら現場に入るわけだ。
でも、それが最高だった。
なぜなら、そこにはビートたけしさんがいるからだ。
たけしさんがスタジオに入るだけで、すごい緊張感が生まれる。
ふだんはくだらないマウント合戦をやっている全スタッフの空気も一気に引き締まる。
一方で、たけしさんご本人は謙虚で、いつも物静かだった。
上京して3年。20歳の俺は、憧れの人に間近で会える仕事に就いている。その仕事のために徹夜でヘトヘトになるまで働いている。
その事実に、言葉にできない誇らしさを感じていた。
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は人気の長寿番組で、視聴率は毎回20%を超えていた。
早朝にターゲットが寝ているそばでイタズラを仕掛ける、「早朝バズーカ」を筆頭とした「早朝シリーズ」、ジャニーズアイドルやプロボクサー、女子プロレスラーなどを育成する「予備校シリーズ」、視聴者がタレントさんにサポートしてもらいながら勇気を出して告白する「勇気を出して初めての告白」、高校生が制服姿でダンス対決する「ダンス甲子園」といった名物企画が目白押しだった。
それぞれの企画について、ディレクター、ADが各班に分かれてロケ撮影・編集をして、VTRを用意する。
そしてそれぞれのVTRは、ビートたけしさん、松方弘樹さん、木内みどりさん、高田純次さんなどの出演者と観覧客がスタジオで見て、「ウケるかウケないか」という容赦ないジャッジにさらされる。
そのため班ごとにつねに緊張感があった。企画会議も、ロケも、編集も全部が戦場だった。
ロケが終われば、そのまま編集スタジオに入って作業。
月曜日がスタジオでの収録だったから、土曜日も日曜日もほぼ寝られなかったものだ。仕事はそれだけじゃない。