震災当時、4000人ほどが在宅していたといわれる宮城県名取市閖上地区で、800人近くもの犠牲者が出たのはなぜなのか。
そもそも、閖上地区の貞山運河から海側も含む大半の地域は、最大4メートルの津波を想定した同市の「津波浸水予測マップ」(ハザードマップ)の浸水範囲から外れていた。
前回の連載で紹介したように、市の避難場所に指定されながら、津波の来る直前、避難してきた人たちが外に出され、多くの犠牲者を出す要因の1つになった「閖上公民館」も、このハザードマップの浸水範囲の外側にあった。つまり、「津波が来ないことになっていた」エリアだ。
では、この名取市のハザードマップは、どのようにして作られていったのか。私たちは今年1月、担当課の防災安全課に、津波ハザードマップの作成過程がわかる議事録や文書すべての情報開示請求を行った。
ハザードマップはどう作られたか
旧国土庁「津波浸水予想図」が元に
市の開示資料などによると、いまのハザードマップの作成が起案されたのは、1999年末のこと。津波対策事業として、2000年度の「宮城県緊急地域雇用特別対策事業」の中に盛り込まれた。
具体的には00年8月、指名競争入札によって、宮城県の第3次被害想定調査を行っている「応用地質(株)」が410万円で落札(予算額は752万円余り)。市から、津波対策を業務委託されている。
その中で作られたのが、最大4メートルの津波を想定したハザードマップと、津波予報8メートルのときの浸水予想図を示した「津波防災マニュアル」だ。
市の防災安全課によると、ハザードマップについては01年2月、海沿いに立地する閖上地区、下増田地区のすべての世帯に配られた。一方のマニュアルは、その状況に応じて逃げなければいけないということを町内会が話し合い、作成にも関わってもらったものであるため、町内会ごとに配布されたという。
資料によると、ハザードマップの津波浸水域は、波形などを考えながら計算された。では、その津波の波形は、何を採用したのか。
当時、地震調査研究推進本部は2000年11月、「今後20年間に、宮城県沖を震源とする大地震が発生する確率は80%」と発表。来るべき大地震について、2通りのケースを想定している。