Photo by Yoriko Kato
東日本大震災の津波によって、800人近い犠牲者を出した宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。そのうち40人以上が、いまも行方不明のままだ。
仙台藩直轄の漁港があった閖上は、「日本一の赤貝の水揚げ量」でも知られる、風光明媚な住宅地だった。
5600人余りの人口のうち、当時、在宅していたのは4000人弱。実に5人に1人が犠牲になっており、その割合は突出している。
そういう意味でも、原発被害に揺れる福島を除けば、児童・教職員84人が犠牲になった石巻市立大川小学校の惨事と並んで、今回の震災の問題を象徴するような悲劇の舞台となった。
そんな閖上地区ではいま、町の再建を巡って、家を失った被災者と名取市側の間で、大きな隔たりが生まれている。
なぜ、住民と行政の間で亀裂が生じてしまったのか。それは、市の設置した協議会で、津波によって人々や家が流され、ほぼ更地になった閖上地区の地盤を再開発。海抜5メートルまでかさ上げして町を作り出すという現地再建の方向性が示され、進めようとしているからだ。
「閖上に戻りたくない」住民と
「町を現地再建したい」名取市
市の行ったアンケートによると、家族を失った被災者の中には「津波が来た高さの土地には住みたくない」という人もいる。「揺れが起きるたびに、当時を思い出す」という人もいる。
「閖上に戻りたい」と答えた住民はおよそ3分の1。残りの約3分の2は「戻りたくない」という意向だったという。