SNSの企業アカウントとしては異例の、80万フォロワーを誇るシャープの「中の人」によれば、バズるコツを追うよりも大切なことがあるそうだ。そんな彼が、最もコミュニケーションが死んでいる場として嘆くのが、就活シーン。関連ネタでバズった漫画とともに紹介する。※本稿は、漫画SNSサイト「コミチ」での漫画時評連載を集めた山本隆博『スマホ片手に、しんどい夜に。』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
誰でも発信できる時代に
表現者の成功とは何なのか
なにをもってプロフェッショナルとするか、はなはだ不透明な時代です。特に創作や、形容詞にクリエイティブがつく物事に取り組まれる方にとっては、どこからプロと自称できるのか、客観的に見極めることが難しいのではないかと思います。
これほどまでにみんながSNSを使い、多種多様な表現なり、アイデアを注いだ作品なりが次々発信される世界では、毎日どこかのだれかの言葉や絵や映像がバズり、多くの人の心を動かしている。
ならばそういう経験をした人が、クリエイティブと呼ばれる領域で成功したのかと言われると、おそらく本人も、そして世間も、同意する人は少ないだろう。
それならあと何回バズれば、クリエイティブでプロフェッショナルなのか。あるいはフォロワーが何人になれば到達なのか、そんなことはまったくもってわからない。
つまりはなにをもって表現者は成功とされるのか、わかりにくい時代なのだと思う。ほんの少し昔なら、オフィシャルな賞や審査に認められる、公的な団体に所属が許される、パブリックな場所に作品が掲示される、あるいはテレビや新聞に露出するといった、すごろくのあがりのような、社会的に同意される成功の区切りがあったと思う。
しかしいまやテレビに出るなんて、あがりどころか「いま何周目?」というようなズレさえ感じることがある。
その成功の不透明さを収入というモノサシでなんとなく可視化させたのがYouTubeであり、YouTuberなのかなとも思うわけですが、それにしたって「その収入だけで食える」ことがプロの条件かと言われると、いまさらそんな時代錯誤するのか、という気分が私の中に生じる。
だれもがなにがしかの発信を自由に行う時代に、それで食えるかどうかだけで、プロとアマチュアをドライに区分けするのは乱暴な気がするのだ。
SNSで漫画がバズっても
その先があるわけではない
現在の漫画家なんて、なにをもって成功かわかりにくい表現者の最たる存在かもしれない。賞が獲れたら勝ちなのか、本が出ればあがりなのか、はたまたネット上でたくさんの人に読まれれば成功なのか。まさにいま漫画を志す方ならリアルに感じられるのではないか。