高成長&高年収!半導体160社図鑑#20Photo:Bloomberg/gettyimages

NEC1位、東芝2位、日立製作所3位、富士通6位、三菱電機8位、松下電子工業9位──。日本企業がトップ10のうち6社を占めるという凄まじい強さだった1989年の半導体市場。そこから日本企業はどう転落したのか?特集『高成長&高年収! 半導体160社図鑑』の#20ではNECと東芝という当時のトップ2社の35年の財務を分析しながら振り返ってみよう。(ダイヤモンド編集部 鈴木洋子)

1989年に10位以内に5社いた日本企業が
20年代はなぜゼロになったのか

 いわゆる「日の丸半導体」の隆盛と没落というテーマは、日本の産業史や経営論の中でも度々取り上げられるものだ。1989年、日本企業5社が世界の半導体シェアの5割以上を占める状態になったことに危機感を抱いた当時の米国政府は、日本産半導体の輸出制限と、工場の稼働率などの報告、それに米国産半導体の強制的な輸入などを日本に求めた。この足かせは1996年まで続き、これがかつて強かった日本の半導体産業の凋落の原因となった、とする見方は強い。

 だが、原因はこれだけではない。半導体業界の趨勢は常に激しく動き、そのビジネスモデルや勝ち筋は時代時代で大きく変わってきた。日本企業は80年代は一度は乗ることができた波に、その後は乗れなかったということである。

 DRAM(一時記憶用メモリー)で世界トップになった1980年代。その後、日米半導体摩擦で日本産半導体に出荷制限がかかった90年代。台頭する韓国などのライバルに押され、DRAM事業で損失を抱え、事業再編を迫られた2000年代。そして半導体事業から完全撤退した10年代──。それぞれで、同じ半導体市場、半導体業界といってもその状況は時代ごとで大きく異なっている。

 これらの節目で、かつてのトップ2社であるNECと東芝の財務はどう変化したのか。日本勢が最高シェアを記録していた89年3月期、ITバブル崩壊後の02年3月期、リーマンショック後の09年3月期、そして最新の23年3月期の4時点で比較してみた。

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