「脅迫者たち」に共通する自己中な「正義感」

 いろいろな考え方があるが、個人的にはこのような脅迫者は、「正義感が異常に強くて善悪の判断がバグっている」ということがあると思っている。

 とにかく「自分が正しい」と信じて疑わないので、それと1ミリでもズレた話が出版されたり、記事にされたりしていることが許せない。だから、そういう「社会悪」が広まることを食い止めるためには、脅迫や放火なども「正義の暴力」を行使するのは致し方がない、という自己中心的な考え方にとらわれているのだ。

 なぜそんなことが言えるのかというと、実は筆者もこういう「脅迫」をする人たちと何度かお会いして、じっくりとお話を伺う機会がかなりあったからだ。

 若い頃、いくつかの出版社で記者や編集者として働いていた。そこでは日常的に記事や出版物に対してクレーム電話を入れてくる人がいて、下っ端はその対応をすることが多かった。電話で話をしているうちに激昂して「これからそっちにいくぞ」「会社に火をつけるぞ」なんて脅されたことは一度や二度ではない。実際に会って対応をした人の中には、「死ぬまで付きまとって後悔させてやる」とか「この業界で生きていけないようにしてやるぞ」なんてかなりハードな脅しもいただいて、実際に付きまとわれたこともある。

 こういう経験を経て、いろいろな「脅迫者」と話をしてきて感じるのは、社会の理不尽に対して大きな怒りや憤りを感じていて、そのような間違った社会を正したいという「正義感の強さ」があるということだ。正義を実行したくて、したくてしょうがないので、それを邪魔する我々のような愚かな人間をつぶしたくてしょうがないのである。

 書籍と関係のない書店まで火をつける、と宣言している今回の脅迫者からも同じ匂いが漂っている。

 冷静かつ客観的に考えれば「脅迫」や「放火」でトランスジェンダーへの理解が深まることなどあり得ない。

 しかし、とにかく自分が信じていることが絶対に正しいので、それを否定するようなこの本の存在が許せない。こういう「理不尽な社会悪」をとにかくこの世から全滅しなくてはいけないという強烈な使命感が、「出版したら火をつけるぞ」という「正義の暴力」につながってしまっているのではないか。

 ただ一方で、多くの脅迫者と対峙してきた立場で言わせていただくと、まったく別の可能性もあるのではないかと思っている。

 それは、「八つ当たり型脅迫者」だ。