中山素平・日本興業銀行頭取
 中山素平(1906年3月5日~2005年11月19日)は日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)頭取として、数多くの企業救済や再編劇に関わり、戦後復興と高度成長期の日本の経済界をけん引した人物だ。経済界の危機に迅速果敢に姿を現し、問題を解決するやさっそうと立ち去っていく姿が、大仏次郎の時代小説の主人公「鞍馬天狗」を想起させるとして「財界の鞍馬天狗」の異名を取った。

 そんな中山による「国際化時代に戦える企業をいかにつくりあげるか」という論考が、「ダイヤモンド」1967年8月7日号に掲載されている。前年の66年7月に、中山は日本経済調査協議会から「わが国産業の再編成」というテーマで調査を求められたという。日本経済調査協議会は、旧経済団体連合会、日本商工会議所、経済同友会、日本貿易会の財界4団体の協賛によって62年に設立された調査研究機関だ。中山は1年をかけて報告書をまとめ、その内容を誌面で披露しているのである。

 昭和30年代後半、旧通商産業省が主導する「官民協調方式」による産業再編成策に対して、産業界、学会、エコノミストなどの間で賛否両論が巻き起こっていた。官僚主導による産業再編で寡占化が進むことに反発する産業界は、自主的に産業再編プランを練ることになり、その取りまとめ役を担ったのが中山だった。そこで挙げられた産業は、鉄鋼、自動車、工作機械、電子計算機、石油精製、石油化学、合成繊維の7業種。いずれも当時、過当競争が明らかになっており、特に貿易自由化によって国際競争にさらされていく懸念を背景に、「国際化時代に戦える企業」への転換は産業界にとっても喫緊の課題だった。

 記事中で中山は、「一時的に政府のより積極的な介入を認め、早急に望ましいビジョンの達成を図るべきである」といった意見もあることを挙げながらも、「わが国企業経営者の自覚ある英断を信頼し、民間主役の筋を通すべきである」と述べている。果たして昭和40年代半ばまでには、神戸製鋼所と尼崎製鉄(40年)、東洋紡績と呉羽紡績(41年)、日産自動車とプリンス自動車工業(41年)、富士製鉄と東洋製鉄(42年)、日商と岩井産業(43年),東洋高圧と三井化学(43年)、川崎重工業と川崎航空機工業と川崎車輌(44年)、住友機械工業と浦賀重工業(44年)、ニチボーと日本レイヨン(44年)、八幡製鉄と富士製鉄(45年)、第一銀行と日本勧業銀行(46年)などの大型合併が相次いだ。そしてこれらの実現の陰に、あるいは時に日向に中山の存在があった。(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

今後の経済発展を主導する
主要産業について再編成を検討

「ダイヤモンド」1967年8月7日号1967年8月7日号より

 昨年7月、日本経済調査協議会から「わが国産業の再編成」という、極めて広範かつ困難な問題の検討を依頼された。

 産業の再編成といえば、農業から始まり、流通機構や金融・証券制度に至る、あらゆる分野が関連するだけに、この問題の取り上げ方には種々苦慮したが、すでに同協議会が「国際的観点からみた農業問題」という提言を発表しており、また「金融機構の再編整備」については、目下鋭意検討が進められていることも考え、われわれとしては、今後の経済発展に主導的な役割を果たすことが期待される主要産業に焦点を合わせて検討を進めることとした。

 1年間にわたる調査研究に当たっては、産業界・金融界・政府当局から50名に近い方々の参加を求め、特に今後のわが国企業にとって大きな課題である技術の開発については、技術分科会、国際化時代への法税制の適応については、法制分科会といった専分科会を設け、実に71回という会合を重ね、その検討成果を報告書としてまとめた。

 この報告書は、

(1)わが国産業に再編成を求める基本的認識、主要産業再編成の今後の方向付け、再編成を推進する主体と方法を示した「本論」、

(2)技術分科会、法税制分科会の研究報告に、再編成に関連する幾つかのテーマの概括的な研究を加えた「補論」、

(3)戦前戦後における、わが国産業および欧米各国の再編成問題に関連するテーマを紹介した「参考資料」

 の3部から構成されている。

 以下では、この報告書に底流する基本的な考え方について述べてみたいと思う。

 なお、報告書に盛られた研究資料は、これらの問題に興味のある方々には参考になるところが多いかと思う。