精神的な事柄以上に、実際的にも妻がいないことで困ったことが多かった。
妻自身も死を覚悟していたので、生前、大事な書類のありか、死後の相続の方針、葬儀のあり方などは相談していた。
だが、最終的には急に体調を崩したので、最後の整理をしないまま妻は病院に行って、そのまま帰ってこなかった。
私は家の仕事のほとんどを妻に任せっぱなしだったので、様々なもののありかがわからなかった。
最初に困ったのは、妻が入っているはずの保険の証書、年金手帳などの書類だった。相続手続きなどに、あれこれの書類が必要になったが、それが見つからない。妻の保険証、通帳、いや妻のものだけでなく、私の書類も見つからない。
しかも、妻は私の営む零細企業の役員であり、経理を担当していた。闘病中も、妻は時間を見つけて体調の良い時に、その作業を行っていた。妻が亡くなると、それも一切できなくなる。
そもそも私は何をどうしてよいかわからない。何がどこにあるかもわからない。会計事務所にお願いしているので、最悪の場合、あれこれ世話になることができるが、それ以前にそろえておくべき書類が見つからない。
会社宛てに請求書が届くが、どう処理するのかもわからない。妻が闘病の最中にそろえた書類などがあるが、それがどのような書類なのか?その意味さえもわからない。
何かを探している時、あるいは、どうするべきかを考えている時、ふと妻に相談したくなる。
まず妻の通夜と葬儀の際の食事などの手配をどうするか判断しなければならない。つい、妻が横にいるような気で、「どうしようか」と相談したくなる。その瞬間、「そうだそうだ、妻が死んだために通夜をするんだった」と思い出す。そのたびにまた暗い気持ちになる。
ともあれ、そうして一人暮らしをしながら、会計事務所の担当者に相談しつつ相続手続きを行い、様々な失敗を重ねながらも、大きな問題なく手続きは済ますことができた。
常に付きまとった死の意識
好きだった曲も悲しく聞こえる
妻の死という大きな出来事があると、どうしても死を意識してしまう。