以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない。

 半年前千葉の重粒子線センターで焼き尽くした筈の膵臓癌が蘇生していたのだ。

 以来果てしもない私自身の「死」をからめてあらゆる思索の手掛かりとなりはてて頭の中ががんじがらめとなり思考の半ば停止が茶飯となり、私の文学の主題でもあった「死」はより身近なものとなりおおせた。死刑を宣告された囚人とは違って、死は放り出したくなるような矮小なものに堕してしまった。(石原慎太郎「絶筆死への道程」『文藝春秋』2022年4月号)

あっぱれな最期を迎える秘訣
「おれなんてたいしたことない」

 自慢を嫌い、一切自慢をしないで過ごした妻は、死を告げられても特に動転することもなく、やや早すぎる死なのに宣告を平然と受け入れた。

 妻は癌の疑いがあると知ってからも、検査の直前まで、何事もなかったかのように日常生活を送っていた。検査の前日に初めて私に打ち明け、驚く私を尻目に一人で検査を受け、一人で結果を聞きに行った。癌とわかってからも、特に態度に変化はなかった。

 症状が進行し、ホスピス病棟へ移るように医師に勧められたときも、死の間際に家族が面会に来たときも、絶望している様子も煩悶している様子も見せなかった。涙を流すこともなかった。私を含めて、妻は誰にも死について嘆くことなく、苦しみを口にすることなく、あっぱれな最期を迎えたのだった。

 それに対して、自慢を大っぴらにしてきた石原慎太郎は、90歳直前になっても、死の宣告に動転している。

 もちろん、私は石原慎太郎を非難しているわけではない。「死への道程」は狼狽の後、「完璧に死んでみせる」という決意をするまでを語る、まさに昭和の一時代を画した作家が最後に残した見事な文章だと思う。だが、妻との対比は明らかだろう。

 たった一つの例で断定するわけではないが、自分を特別と考え、自慢をして生きた人物は90歳近くになっても、死の宣告に狼狽する。特別な自分がいなくなることを受け入れられない。

書影『凡人のためのあっぱれな最期』(幻冬舎)『凡人のためのあっぱれな最期』(幻冬舎)
樋口裕一 著

 それに対して、自分を特別と考えず、自慢をしない人間は、自分を平凡な生物と考えているので、死の宣告にも平然としていられる。このことは、かなり普遍的なことだろうと思う。

 あっぱれな最期を迎えるには、ともあれ自慢をしない方がよいだろうと私は思う。自慢したい気持ちになったらぐっと抑える。「おれなんてたいしたことはない」と思うことにする。自分よりも優れた人がたくさんいることを思い出す。

 きっとそうすることは自分の慢心を抑えることにつながるだろう。そして、それは肥大化したプライドを抑え、安らかに死を迎えることにもつながるだろう。