自分がただ好きなものを、「競技化」し荒らさないでほしいという気持ちは、今ではよくわかる。僕が文学やサブカル界隈に嫌われているのは、この安易で暴力的な「競技化」への抵抗があるからだろう。

 たとえると公園で目的もなくボールを投げ合っている人たちに「これじゃあ発展しないから、ちゃんとコートを作って、内野と外野に分かれて、ドッジボールにしよう」と勝手に仕切りだす感じだ。

 当時の自分が、文化的な人たちに拒否されていた理由がよくわかる。彼ら彼女らにとって「儲かる」は目的ではないのだ。

 一方で、「競技化」は何者かになりたい若者にはウケた。勉強やスポーツよりも複雑性が高い社会人生活において、ビジネス書を読み受験勉強や筋トレのように努力すればうまくいくというのは、シンプルで明快なメッセージだった。

書影『かすり傷も痛かった』『かすり傷も痛かった』(幻冬舎)
箕輪厚介 著

 しかしながら、競技である以上、みんながみんな勝てるわけではない。箕輪編集室には優秀で意識高い若者がたくさん入ってきたが、のべ5000人くらい参加し、そのうち突き抜けたと感じるのは30人くらい。166人に1人。少なくもないが多くもない。ものすごく現実的な数字だ。

 そこに絶望したものたちは、ひろゆきの「成功できる人なんてほんの一部なんで、コスパ良く生きたほうが賢いですよ」という現実的冷笑スタイルに共感した。

 スポーツでも、競技ではなく楽しむために身体を動かす人が多くいるように、人生も競技として争うものではないのだろう。