筒井さん夫婦はビニール樹脂を加工する小さな町工場を、名古屋で経営していた。父親がビニール製のハンドバッグやチューブ類、縄跳びを作っており、筒井家の総領として工場を継承したのである。
彼自身も名古屋の私学・東海中学、高校で柔道一筋に打ち込み、柔道四段。後にプロレスラーとなる「サンダー杉山」らとともに、全国高校柔道大会の団体戦で全国制覇を遂げたこともある。
今の言葉でいえばマッチョ系だ。関西学院大学では経済学部に学んでおり、父親と同様に医療機器には無縁だった。
ところが、父親が膨大な借金を残していたことが判明し、次いで二女佳美(よしみ)さんが「三尖弁(さんせんべん)閉鎖症」という心臓の難病を抱えていることが分かる。診察した医師からは、「お嬢さんは長くは生きられないかもしれません」と告げられた。塗炭の苦しみである。
さて、あなたならばどうしますか。
彼と妻の陽子さんは何の知識もないところから、誰にも作れなかった人工心臓を製作して、佳美さんを助けようと考える。そして夫婦は、日本の頭脳が集まった研究会や勉強会に潜り込んだ。昔でいう「天ぷら学生」である。その頭脳の中に、先端医療技術の権威となる桜井靖久(やすひさ)・東京女子医大教授がおり、その弟子である岡野光夫(てるお)氏や片岡一則氏らがいた。
岡野氏は当時、東京女子医大の医用工学研究施設助手で、夢の領域だった再生医療に挑んでいた。医学界の異端児である。やがて世界で初めて「細胞シート」を開発して、医学界をアッと言わせ、江崎玲於奈賞など数々の賞に輝く。
岡野氏は当時をこう振り返る。
「筒井さんは人懐っこいし、一生懸命でしたね。それで奥さんがぴったりとくっついてフォローして、筒井さんの足らないところはいつも奥さんがフォローしていた」
もう1人の片岡氏は、女子医大の教授に就いた後、「ナノマシン」を開発し、2023年にノーベル賞の登竜門ともいわれるクラリベイト引用栄誉賞を受賞した、医学界の泰斗である。ちなみに、ナノマシンはナノメートル(ナノは10億分の1)サイズの極小カプセルに薬や遺伝子を搭載し、体内の狙った組織に効率的に届ける技術だ。
つまり、筒井さんはやがてノーベル賞級と呼ばれるような研究者やベンチャー魂を持つ人々の中に飛び込んだのだった。