掛け算の順序問題はなぜ起きたか?
「掛け算の順序問題」というのをご存知でしょうか?1972年の朝日新聞の記事に端を発したこの問題は未だに完全には解決しておらず、2011年の年末にも、ITmediaオルタナティブブロガーの白川克さんが投稿したエントリー「6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性」をきっかけとしてネットを中心に大きな議論になりました。
1972年の朝日新聞に掲載された問題の概要は次の通りです。
「6人の子どもに1人4個ずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか?」という問題がテストに出題された。
この問題に対して、小学校2年生の生徒が
6×4=24
と書いたら、式に×(バツ)が付けられて、
4×6=24
に直されて返却された。これに憤慨した父兄と学校との間で学校教育のあり方についての議論が起きている……
この話は大人が一見すると誰しも「なんて理不尽な」という感想を持つと思います。私もそうでした。掛け算には、
a×b=b×a
が成り立つという交換法則があるのですから「4×6」なら正解で「6×4」なら不正解だというのは腑に落ちません。
ではなぜ、小学校の先生が掛け算の順序にこだわるのでしょうか?それは、文章題における掛け算では、
「1つあたりの量」×「いくつ分」
のように考えるべきだという、いわゆる「水道方式」を生徒に守らせようとしているからです(上の例では「1つあたりの量」=「4個/人」、「いくつ分」=「6人」になります)。
(ちなみに「水道方式」とは、1950年代後半に、当時の東工大教授であった故遠山啓氏が考案した算数・数学教育法のことです。掛け算の順序について上のように考えるのは、これに慣れておけば、将来「×0」、「×小数」、「×分数」などにおいて子どもが混乱することが少なくなるだろうということと、数をひとかたまりの「量」として捉えさせ、同時に単位を意識させるきっかけにしたいというのがその根拠のようです。)
水道方式の是非についてここで議論することはしません。問題はどうして大人には理不尽に思える採点方法が小学校の現場に残り続けているかということです。繰り返しになりますが、算数ではやり方を覚えてそれを正確に再現できるようになることに主眼がおかれています。この観点からすると授業で教えた立式の方法が、
「1つあたりの量」×「いくつ分」
である以上、それを守れない子どもには点数をあげられないというわけです。そこには「なぜそのようにすると答えが得られるのか」という議論は抜け落ちていますし、論理が正しければ道筋がいかようであってもきちんと点数がもらえる数学とは大いに違うところです。
もちろん私個人としては、算数においてもできるだけ「なぜそうすると解けるのか」を生徒に考えさせ、論理的であることの大切さを感じてもらえるような授業が展開されることを願ってやみませんが、残念ながら現状は違うようです。
(さらに追記しますと、この掛け算の順序問題をさらにややこしくしているのは、みかんを6人の子どもにトランプを配るときのように1個ずつ配ると、4周で1人4個になることから、
「1つあたりの量」=「6個/周」、「いくつ分」=「4周」
と考えれば、「6×4」であっても水道方式の式に合致してしまう点です。)
いずれにしても、そういう算数教育を受けてきた子どもたちが、中学生になり数学の授業に入っていくわけです。公式を覚え、その「型」にはめこむことが数学であると勘違いしてしまうのも無理のない話かもしれません。