しかし、このような組織における「正しい」判断が行われた結果において製品不正(品質不正)が起きてしまうことは、決して生産部門だけのせいではなく、なぜこのような「正しさ」が製品不正(品質不正)につながったのかを組織として構造的に考えなければならないと言えます。生産部門だけが「危うさ」を抱えていたと考えるのであれば、それは根本的な解決にはなりにくいからです。

 つまり、組織的に「正しさ」を追求すること、そしてそれが組織内において合理的であると考えられている場合には、組織は盲目的になりやすく組織不正が生じやすいと言えるのです。そして、それは「危うさ」の姿ではなく、誰が見ても「正しさ」の姿をしている場合も多々ありうるのです。

どのような組織でも
不正は起こりうる

 ここまで見てきたように、私たちが何気なく行っている仕事が結果的に組織不正につながるのだとすれば、組織不正とはつねにどんな組織においても「起こりうる」と言えます。「不正のトライアングル」(編集部注/3つの要素「機会」「動機」「正当化」が結びつくことで不正が行われることを示したモデル、図1-1)やこれまでの研究においては、不正に手を染める人はまれであるという前提に立つため、組織不正はめったに「起こりえない」と考えられてきました。

図1-1:不正のトライアングル同書より転載 拡大画像表示

 しかし、私たちが何気なく行っている仕事がもとになっているのだとすれば、組織不正はどのような組織にとっても「起こりうる」と考えられるのです。これも1つの悲観論ですが、この悲観論に立つことで新たな対策を考えることもできます。

 もともと、このように組織にふりかかる危機的状況を「起こりうる」ものと考え、その対策を考えてきた研究に「ノーマル・アクシデント理論」と呼ばれるものがあります。ノーマル・アクシデントとは、英語でnormal accidentと書きますが、「アクシデントを起こりうる(normal)ものとして考えること」を意味しています。

 アクシデントを起こりうるものと考えるため、この考え方もとても悲観的であると言われてきました。しかし、悲観的であるからこそ、新たな対策を考えられるのです。

 そして、それは人間にとって死(=終わり)に向き合うことに似ているのです。死(=終わり)を避けることができないからこそ、人間は生前にその準備を行うことができます。すなわち〈終活〉です。これもまた、死(=終わり)が「起こりうる」と考える悲観論の効用であると考えられます。