では、アクシデント(=終わり)が「起こりうる」と考えることには、どのような新しさがあるのでしょうか。いろいろと考えられますが、大きくはあらかじめ予防策を講じることよりも、起きたあとのことを考えて何が必要になるのか、どんなことをしなければならないのかを前もって考えられるということです。つまり、アクシデント(=終わり)を先取りすることによって、その到来を予期することが可能となります。

組織不正が発生した際の
対応への準備こそが重要

 ひとたび組織不正が発生すれば、社内調査や第三者調査などが実施されますから、その調査をどのように進めていくのかについても前もって考えておくことが可能となります。あるいは、記者会見を誰が、いつ、どのタイミングで行っていくのかなども前もって考えておくことができるかと思います。

 この記者会見については、トップである経営者がどのように組織不正について対応するのかを問いただされることがあると言えます。この点で言えば、大規模な通信障害が生じたKDDIの高橋誠社長が率先して経緯を説明したことについて称賛の声もあったように、トップである経営者が「もし、組織不正(や組織不祥事)のような出来事が起きてしまったら、どう行動するか」を日頃から考えて、それに備えておくことが重要であると言えるでしょう。

 したがって、記者会見1つを取ってみても、アクシデント(=終わり)を先取りしながら、その到来を予期する効用は必ずあると言えるのです。

 このことをもう少し深く考えてみますと、あえて悲観的な見方をすることがかえってアクシデント(=終わり)が起きた時の私たちを守ってくれるのだとすれば、それは「悲観的な見方をつらぬくことが結果的な楽観論を私たちにもたらす」こととなるのです。

 つまり、アクシデント(=終わり)が「起こりうる」と悲観的に考えることによって、前もって事後的な対応をどのように行っていくのかを楽観的に考えることができるということなのです。

 ただし、これは単に楽観的に予防策を考えることとは違います。それでは「起こりうる」ことをもとに考えられていないためです。心の底からアクシデント(=終わり)が避けられないものであることを踏まえた上で、その際に何が自分にはできて、何ができないのかを考えることが本来的=到来的な予防策であると考えなければならないのです。