芳醇な香りの濃口醤油と、まろやかな甘みのみりん。これで蒲焼のたれを発明したのが誰なのかは記録がありません。しかしながら、醤油とみりんの到来によって蒲焼が生まれ、江戸庶民の圧倒的支持を得たことは間違いありません。これが江戸三大事件、第二の事件です。

 現在も老舗うなぎ屋はたれを命とばかりに守り続けています。一方で、大手調味料メーカーから「うなぎのたれ」が発売され、京丸うなぎ(静岡県沼津市)など、通販でたれを販売するうなぎ問屋もあり、いまや、うなぎなしに、たれだけでも楽しめる時代となりました。

土用の丑の日=うなぎ
この風習が生まれた要因

 寒梅の かをりはひくし 鰻めし

 寒い時期にうなぎを思い出すとは、大のうなぎ好きとして知られる正岡子規らしい句です。この句は季語が2つ入った季重なりです。晩冬の季語「寒梅」と、そう、もうひとつは夏の季語「鰻」です。

 では、何故うなぎは夏と定着したのでしょう。「土用の丑の日にうなぎを食べる」という風習は江戸時代中頃に広まった習慣とされています。由来については諸説ありますが、平賀源内(1728~1780)が発案したという説がよく知られています。

 味にうるさい江戸っ子は、産卵前の脂がのった秋から冬のうなぎを「旬」としていました。ですから、夏のうなぎは人気がありませんでした。そこで、あるうなぎ屋が博識の源内先生に相談しました。源内先生は店先に「本日丑の日」と書いた紙を貼ることを提案。本草学にも通じていた源内先生は、もともと丑の日に「う」のつく食べ物で精をつけるという古来の考えにうなぎをつなげたのです。結果、うなぎ屋は大繁盛。江戸中のうなぎ屋が真似たため、土用の丑の日にうなぎを食べる習慣が急速に広まった、というものです。

 ただし、平賀源内が広めたという確かな証拠はありません。