その後、ご飯に蒲焼を載せた「うなぎめし」を日本橋葺屋町(現在の人形町)の「大野屋」が売り出して大評判となります。「うなぎめし」は、文化年間(1804~1818)に大久保今助が考案したといわれており、私はこれこそうなぎに関する江戸三大事件の第三の事件と考えています。

 今助は、常陸(茨城県)の農民の出でしたが、江戸に出て商売で財を成し、日本橋堺町(現在の人形町)にあった芝居小屋・中村座の金方(出資者)をしていました。今助が故郷へ帰る途中、牛久沼(茨城県龍ヶ崎市)の渡しに来た時のこと。船を待って茶店で蒲焼と丼飯を頼んだものの、配膳されたちょうどその時に出航の合図。やむなく店で皿を借り、丼飯の上に蒲焼を乗せて皿で蓋をして船に乗り込みます。対岸に着いて、食べてみると蒲焼はご飯でほどよく蒸され、ご飯にもたれがしみてとてもおいしかったのでした!

 今助はふだん芝居小屋では、隣町の大野屋から蒲焼の出前をとっていましたが、蒲焼が冷めてしまうのに難儀していました。江戸に帰った今助は、早速大野屋に、丼飯の上に蒲焼を載せて蓋をして出前をさせました。大野屋は他の客にもこのスタイルで提供したところ「冷めずにおいしく食べられる!」と大好評。これを見た他のうなぎ屋も真似をして江戸中で「うなぎめし」ブームが起こったという話です。蒲焼は冷めると皮が硬くなってしまいます。偶然の産物とはいえ、うまいことを考えついたものです。

 牛久沼は現在も「うな丼発祥の地」として知られており、湖畔の国道6号線沿いには、鶴舞家、桑名屋(茨城県龍ヶ崎市)など、老舗うなぎ店があり、「うなぎ街道」として親しまれています。また、東京都内ではメニューにうな丼のないうなぎ専門店もありますが、つきじ宮川本廛(東京都中央区築地)は、うな丼も選べます。歌舞伎鑑賞の帰りに足をのばして往時をしのぶのもよいでしょう。