キリストは青森で106歳まで生きたって本当?新郷村のお墓と盆踊り歌に隠された秘密とは新郷村にあるキリストの墓 Photo by Satoshi Tomokiyo

あのイエス・キリストの墓が、日本の青森県に存在する――。そんな噂を耳にしたことのある人は、意外と多いのではないだろうか。「そんな馬鹿な」と一笑に付すのは簡単だが、地域の伝承を探ってみると、不思議なファクトが散見される。このトンデモ説の真相に迫ろう。(フリーライター 友清 哲)

なぜイエス・キリストは
青森で埋葬されたのか

 イエス・キリストは、いまからおよそ2000年前にゴルゴダの丘で磔刑に処されたユダヤ人である。そのキリストが、人知れず生き延びて日本に渡り、青森の地で本当の生涯の幕を閉じたと言われても、なかなか信じられるものではないだろう。

 しかし現実に、青森県三戸郡の新郷村に「キリストの墓」は存在している。B級スポットの一端であることを承知の上で、現地に伝えられる背景を攫ってみると、処刑されたのは実はキリストではなく、双子の弟であるイスキリだった、という前提がまずある。

 そして人知れず生き延びたキリストは、シベリアに渡って各地を旅し、磔刑を逃れてから4年後に青森県・八戸に上陸したという。そこでたどり着いたとされるのが、現在は新郷村と名を変えた旧・戸来村(へらいむら)だった。

 戸来村に定住を決めたキリストは、名を十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)と改めて、ミユ子という日本人女性と結婚し、3人の娘を授かった。彼はその後、106歳までこの地で生きたそうだ。

 ――さて、「言ったもん勝ち」感もあるこの奇説。少なくとも、こうした説を創作して、土を盛って十字架を立てれば、誰にでもキリストの墓は仕立てられてしまうだろう。

 しかし、そうしたあからさまなでっち上げなら、「キリストの墓」はここまで話題にあがることもなかったはず。実際、この新郷村の十字架には、もっともらしい根拠がいくつも揃っているのが興味深い。順に見ていこう。