過去の戦いの延長線上で
今を戦ってはならない

 それにしても、まごうことなき豊臣政権の逸材である三成が、なぜ不完全な築堤を甘受したのか。それは、三成が秀吉を敬愛し崇拝していたからに他ならない。

 平たくいえば、三成は秀吉のまねをしたかったのである。敬愛する秀吉の「栄光の記憶」を再現したかった。それが作戦よりも先にあったために、合理的ではない判断を招いた。創業者を崇拝する後継者にありがちな、落とし穴とも言えよう。

 三成のケースは少し極端だが、成功体験ほど怖いものはない。失敗は反省もできるが、成功した場合は、その弱点も含めて「良かったこと」になってしまう。

 特にビジネスモデルの場合、過去にそれで成功した人間が現役でしかも上司であった場合、これを拒否することは難しい。

 しかし――戦理としていえることは、「過去の戦いの延長線上で今を戦ってはならない」ということである。環境が変われば、モデルも改変しなければならない。その柔軟性があって初めて、過去の成功を現在の成功に再現できるのである。

 自分や自分が属する組織の成功体験は尊い。他方、尊いが故に、これを否定するのは難しい。しかし成功の模倣には常に失敗の種が潜んでいることを心して、プロジェクトや新事業を展開したいものである。