欧州諸国では、産業革命以来、「資本家が労働者を搾取する」という固定観念があり、これに加えて、一部のエリートが「地位を保証されたテクノクラート(特権官僚)」となって政治や企業経営を掌り、それ以外の人間は黙々とそれに従うということもあったのですから、「働くことがイコール苦痛」と思ってしまうに至ったのも、やむを得なかったのかもしれません(近年ようやく廃止されたフランスのENA(国立行政学院)はその典型で、ここの卒業生は、特権官僚として国の重要な政策のほとんど全てを決めていた上に、長年にわたり国営企業のトップに天下っていました)。

 まして謂わんや、皇帝を取り巻く少数の貴族が圧倒的な数の農奴を牛馬の如く使っていたロシアでは、革命が起こるのも「必然」だったでしょう。

「勤勉」は生きる上での
「誇り」や「満足感」につながる

 しかし、日本の場合はかなり違いました。海に守られて異民族の支配を受けなかった日本では、農民や職人は、真面目に働いている限り、無闇に殺されたり奴隷にされたりすることはあまりありませんでした。

 江戸時代以降は、平和で分権的な封建制度で、自作農と下級武士の差はそれほど大きくなく、江戸や京・大阪のような大都市では、高度な町人文化も育ちました。そして、それが、明治維新以後の急激な変革に繋がったという歴史的背景があります。

 つまり、その中で培われた日本人の勤勉さは、無知がもたらしたものではなく、それなりの歴史的な重みを持ったものだと言えるでしょう。

「勤勉」といえば、欧州では、ローマ法王が支配していたカトリックに反旗を翻したプロテスタントが掲げた「美徳」の1つでもありました。プロテスタントは、信仰に妥協を許さず、極めて厳しい自己犠牲を求めましたが、実生活でもそれは同様でした。それが、結果として、産業・経済の発展にも大きな成果を上げたようです。