二宮金次郎像Photo:PIXTA

歳をとり「働く」や「遊ぶ」のは億劫になっても、「学ぶ」ことは続けられる。「勤勉」であれば、最終的には生きる上での「誇り」や「満足感」が得られるのだ。84歳で「生涯現役」を貫いている、ソフトバンク元副社長の著者が説く勤勉のススメ。※本稿は、松本徹三氏『仕事が好きで何が悪い 生涯現役で最高に楽しく働く方法』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。

「働く」ということは
そんなに嫌なことなのか?

 そもそも「働く」ということは、そんなに嫌なことでしょうか?

 人間の毎日の「可処分時間」は、「働く」「学ぶ」「遊ぶ」「運動(遊びに近いこともあるが、ひたすら苦痛に耐えるのを厭わないこともある)」「趣味としての様々な行動(しばしば働いているのと近い状態にもなる)」「毎日の必要なこと(食事、トイレ、洗面、入浴、等)」「家族や知人との取り止めもない会話」「休息(ぼんやりしている)」「睡眠」等に分割して使われており、そのそれぞれは複雑に絡まっています(いや、この区分は不十分で、「恋愛」や「飲酒」や「賭博」なども入れるべきという人もいるでしょうが、そうなると話が際限もなく拡散していくので、今回はその辺はまとめて「遊び」の範疇に入れておくことにします)。

 人間というものは、「鬱」状態になると、休息や睡眠以外はどれも面倒くさくなり、ひたすらぼんやりしていたくなるようですが、そうでなければ、「意欲を持ってやる」のか、あるいは「仕方なくやる」のかは別として、とにかく色々なことをやろうとするのです。

「学ぶ」は、「意欲を持って」と「仕方なく」が明確に分かれますが、「働く」も似たようなものです。

 創造的なソフトウェアを作っている人など、仕事にかかる時には「やれやれ、今日もまた仕事かァ」と少しうんざりした気持ちで始めますが、やっているうちに夢中になり、夜になってもやめられず、ついに徹夜するというようなことがしばしばあるようです。

「営業」だって、ゲームと同じようなところがあり、成果を競っている時には夢中になるし、上手く行った時の快感は忘れられません。

 いずれにせよ、「働く」ことを「苦痛」と決めつけるのは明らかに間違っていると思います。