とはいえそういう人たちもそのうち、恋人の心が自分から離れていることや、もはや自分にはどうすることもできないということに気づく時が来る。そうして、相手からもう愛していないから別れてくれと要求されてようやく失恋の現実と向き合う。

 恋愛中に自我の拡張を経験するのと同様に、愛を失った時には自我の収縮を感じるものだ。恋愛中に味わった意気投合の喜びと力は、失恋後の孤独な自我をより一層傷つける。

 彼らが築いてきた「私たち」という世界は、「私」という元素に戻り、自分だけが相手にとって唯一愛しい存在だという認識から来る幸福感が消え、その跡地には乾ききって価値を失った無意味な自分だけが残される。

 それに加えて恋愛中、手を焼いてくれる相手に甘えていた自分の態度が幼稚に思えて恥ずかしくなり屈辱すら覚えてくる。相手への依存度が強かった場合は、何もかも1人でやらなければならなくなった事実に絶望し、恋人なしでは何もできない自分に気づくたびに声を上げて涙することもある。

 失恋における最も根本的かつ普遍的な苦痛は、それまで誰にも見せずにきた心の奥底を恋人に見せたという事実からくるものだ。特に自尊感情が低い人たちの場合、失恋の苦痛は激しい自己卑下として表れる。

 自分の心の奥底を見た恋人は、つまらなくて至らない自分に失望し、その結果離れていったと考えてしまうのだ。愛される価値がない人間だからフラれたのだという発想は、私たちを凍えさせる。なぜなら裸のまま捨てられたかのようで、ひどくつらいからだ。

期待と絶望を繰り返し回復する
失恋を乗り越える4つのプロセス

 一般的に恋が終わる時というのは、フラれた側がその痛みに耐え、最後にはまた相手が戻ってくるかもしれないという無駄な期待を捨てて無感覚になる瞬間と、ふさぎこむ瞬間を交互に経験しながら、ゆっくりと回復に向かうものだ。

 その過程においてフラれた側は、自分でも恥ずかしくなるような行動をいつまでもくり返すことがある。

 相手に数十から数百件もの電話をかけたり、ぶしつけに相手の家へ押しかけたり、迷惑はかけないからどうか1度だけ会ってほしいと頼みこんだり、もっとちゃんとするからそばにいさせてくれと泣きついたり。さらには相手のSNSを頻繁にチェックして誰と一緒にいるのか確認したり、偶然を装っていきなり相手の前に現れることもある。

 問題はそうした行為を、恥ずかしいと自覚しながら自制できないことだ。