もちろん大抵の人たちは、そうした失恋の苦痛をうまく乗り越えることができる。ひととおり感情の波を経験したら、その恋にまつわる幻想や記憶を心のビデオテープに落としこむのだ。そうして何らかの出来事がそのテープの反復再生を止めてくれるまで、頭の片隅でぼんやりと流し続けるのである。

 このように失恋を乗り越える過程は、愛する人の死を哀傷する過程に似ている。

 精神科医ジョン・ボウルビィは、哀傷のプロセスを4つの段階に分けた。

 1つ目の段階では絶望し無感情になって、死の否定が行われることもある。2つ目の段階では死者に会いたい気持ちが高まり、心が落ち着かず死者に執着するようになる。3つ目の段階では瓦解と失望が見られるものだ。生きる意味を失ったようで社会的な関係を断ち切るようになり、孤立してあらゆる感情を失い、不眠症や体重減少に悩まされるようになる。旅立った人との思い出を延々と反芻し、それがもはや単なる記憶でしかないことに失望する。そして最後、4つ目の段階では、ついに回復が見られるようになる。この頃にはもう喪失の痛みが薄れ、現実社会に復帰できるようになっている。旅立った人は心の中で生き続け、喜びや悲しみの記憶として残る。

失恋は死のような悲しみだが
哀傷過程を経て成長の機会となる

 ある意味では失恋も「最愛の人の死」であり、「恋人から愛されていた自分の死」だから、死を哀傷する過程とも似てくるのかもしれない。なお、きちんと哀傷できない人は、燃えるような恋に落ちても情熱が冷めた途端に次の恋を求めてしまうものだ。

 自分が傷つく前に相手に別れを告げ、クールなふりを装うも心の中で後悔するのである。そういう人はすべての恋愛において同じパターンをくり返し、毎回不幸な結末を迎えることになる。

書影『「大人」を解放する30歳からの心理学』(CCCメディアハウス)『「大人」を解放する30歳からの心理学』(CCCメディアハウス)
キム・ヘナム 著

 だが、失恋後にきちんと哀傷過程を踏んだ人たちは、自分を「愛されるほどの価値がない人間」だとは考えない。愛する人から愛されればうれしいけれど、なかなかそうならないことを承知しているからだ。

 そのため彼らは時が経ち、ある程度心が回復してくると、再び自然と別の恋を求めて歩み出すようになる。たとえ傷つくことになったとしても、喜んで愛し愛される人生を選択するのだ。

 それに恋が実らなかったとしても、ネガティブなことばかりではない。実らぬ恋は人を成長させ、自我を拡張させることも多いからだ。また芸術家であれば、ぽっかり空いたその心の中に創造性が芽吹いてきて、失恋を機に名作を誕生させる可能性もある。