“社長最後の日”、鈴木肇社長に会った

 この日の午前、大井川鐵道では株主総会が開かれ、鈴木肇社長に代わって鳥塚亮社長が着任した。鳥塚社長は遅れての発車となった「トーマス号」の出発を新金谷駅ホームで見送り、画像を早速自らのブログに投稿した。新社長のその姿は、「トーマス」に出てくる、でっぷりしたトップ・ハムハット卿に似ていなくもなかった。

2014年、初めて報道公開された「トーマス号」。C11227号を化粧直しした。現在はC11190号が「トーマス」になっている Photo by F.T.2014年、初めて報道公開された「トーマス号」。C11227号を化粧直しした。現在はC11190号が「トーマス」になっている Photo by F.T.
C5644号を使った「ジェームス号」。現在は機関車の不具合で運行されていない Photo by F.T.C5644号を使った「ジェームス号」。現在は機関車の不具合で運行されていない Photo by F.T.

 新社長就任前日の6月27日。筆者は鈴木肇社長を、本社の会議室に訪ねた。

高瀬:「社長最後の日」にインタビューを受けて下さり感謝します。まず、今の率直なお気持ちをお聞かせください。

鈴木:よくやったな、と思っています。

大井川鐵道 前社長 鈴木肇氏(取材時は社長) Photo by F.T.大井川鐵道 前社長 鈴木肇氏(取材時は社長) Photo by F.T.

 そう言った直後、鈴木社長はちょっと慌てたように言い添えた。

鈴木:いや、もちろん自分のことではなくて、社員みんなのがんばりです。コロナ禍、台風と厳しい中、よくやってくれています。

 社員もがんばったし、自分もがんばった。それが偽らざる実感だろう。

 鈴木社長は1985年入社。営業を経て1995年以来、一貫して大井川鐵道の財務を担当してきた。詳しくは第3回で述べるが、2012年4月の関越道ツアーバス事故をきっかけに、突然の倒産の危機、企業再生に翻弄される。スポンサー企業となった「エクリプス日高」(北海道)が大井川鐵道を完全子会社化した2017年社長に就任。「トーマス」という復活の起爆剤を手にして再建は順調に行くかと見えたが、コロナ禍、そして2022年15号台風による路線の寸断。鈴木社長にとっては、長い苦難のみちのりが続いた7年間だった。

 過疎化、公共交通の役割の終焉、災害。いま、全国の地方鉄道が苦しみもがく「課題」は、大井川鐵道が半世紀前から直面してきたものだった。