国鉄時代の蒸気機関車が客車を牽く「SL急行」が人気に
ドル箱だった大井川上流のダム建設資材と千頭に集積される林産資源の貨物輸送が1960年代末にほぼ終焉した後、山が迫り沿線人口が少ない大井川鐵道は、1970年代初頭に経営危機に陥った。それを打開したのが、1976(昭和51)年に始めた大井川本線全線でのSL動態保存運転だった。前年に国鉄の蒸気機関車が終焉を迎え、全国的に盛り上がった「SLブーム」はまだ熱を帯びていた。国鉄C11形SLが国鉄時代そのままの客車を牽く「SL急行」は人気を集め、大井川鐵道はSL列車を経営の大黒柱に据えて、日本で初めての「観光鉄道」の路線を進むことになった。
![SL急行「かわね路」 Photo by F.T.](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/0/d/600/img_0dc6bb4d57bdd81d2ea2bfbec3ad6256448063.jpg)
![国鉄時代そのまま、ノスタルジックなSL急行の車内。トンネルに差し掛かったら窓を閉めないと煙が入ってくる Photo by F.T.](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/1/0/600/img_1056b4b455df683b00091dda1caf743d791266.jpg)
以来半世紀近く、大井川鐵道はSL列車を軸に、苦しいながらも存続してきた。沿線人口と定期客は減少を続けたが、2000年代の終わり頃、鉄道の収益はピークを迎えた。その原動力は「団塊の世代」だった。