余裕があれば「体験」を
知育の機会は家庭でも作れる

 これ以外にやるとすれば、知育玩具の活用や、博物館や美術館、キャンプや山登りなどの自然体験をさせるのも、余裕があればもちろんよいでしょう。

 ただ、究極的にはなんだって知育になり得ます。特別なお金をかける必要はありません。手頃なボードゲーム、パズルやトランプなどで十分です。それも週末にちょっと遊ぶくらいで、そんなに難しいことをしなくても大丈夫です。

 家族で映画を観るなどでもいいですし、YouTubeでゲームの実況中継ばかり見るのではなく、見せるコンテンツを変えればいろいろな疑似体験をさせることができます。

 ちなみに、ゲームは「新しい教育」で重視されるような、与えられた情報を理解し、それを基に自分で考えて行動する力の基礎となるので、あながち悪いとは思いません。ただし、ゲームばかりをするのは問題があります。時間を区切るなどの工夫が必要です。

 昔はリビングで家族みんなが同じTV番組を見ることが多かったと思います。子どもは分からないなりに親のレベルに追いつこうと、ニュース特番を見たり、兄や姉が見ている大人の恋愛ドラマを見たりして、さまざまな情報に触れる機会がありました。親の本棚から勝手におもしろそうな本を取り出すこともあったでしょうし、兄弟姉妹の漫画雑誌を読むこともできました。

 ところが、タブレットが普及して、ひとり一端末になり、本棚はKindleの中に閉じられ、子は自分のレベルに合ったコンテンツにしか触れなくなりました。ショート動画のはやりで、短い時間でないと集中できないということも増えているようです。

 子が無理やり背伸びをして、難しいものを見聞きする機会が圧倒的に少なくなった。その結果、語彙力は間違いなく下がっています。自分で探しに行かない限り、多様なもの、難しいものに触れられなくなっています。

 ですから低学年のうちに、できるだけいろんなものとの接点を増やす。ときには、子どもが興味を示さないコンテンツもあえて見せるといったことが重要になってきます。