職場には「抜擢される人」と「抜擢されない人」がいる。一体、何が違うのだろう?
本連載では、ビジネスパーソンから経営者まで数多くの相談を受けている“悩み「解消」のスペシャリスト”、北の達人コーポレーション社長・木下勝寿氏が、悩まない人になるコツを紹介する。
いま「現実のビジネス現場において“根拠なきポジティブ”はただの現実逃避、“鋼のメンタル”とはただの鈍感人間。ビジネス現場での悩み解消法は『思考アルゴリズム』だ」と言い切る木下氏の最新刊『「悩まない人」の考え方 ── 1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30』が話題となっている。本稿では、「出来事、仕事、他者の悩みの9割を消し去るスーパー思考フォーマット」という本書から一部を抜粋・編集してお届けする。

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 管理職になりたがらない若い人が増えているという。

 管理職とは責任者の一種。
 つまり、「責任を取る」ことに対してネガティブなイメージを持っている人の割合が、若い世代を中心に高まっているのだろう。

 なぜ「責任を取る」のが嫌なのか?

 その理由の一端は、「責任を取る」という意味が誤解されているからだと思う。

「選挙での大敗の責任を取り、党首を“辞任”しました」
「組織ぐるみの不正の責任を取り、会見で“謝罪”しました」
「職員の不祥事の責任を取り、3か月分の“減給”処分となりました」

 メディアで見かける「責任を取る」は、ほとんどの場合が「罰を受ける」と同義である。

 また、人々が「責任を取れ!」と言うとき、そこには「罰を受けろ!」という含意がある。

「責任を取る」と「罰を受ける」はまったく別のこと

 しかし、本書にあるとおり、「責任を取る」とは本来、何か問題が起きたときに「辞任・謝罪・減給」といった「罰」を受けることではない。

 あくまでも「起きている問題に対処すること」である。

 迅速に問題の拡大を止め、被害を最小限にとどめ、打開策を打って原状回復に努めながら、今後の再発防止策も講じる──こうしたアクションを取ったときに初めて、その人は「責任を果たした」といえる。

「カメラの前で頭を下げて職を退く」だけで責任を取ったことになる社会は、じつのところ、きわめて異様だ。

 それは実際には「責任を取っている」のではなく、「力を持っている人・組織を引きずり下ろして、溜飲を下げたい」という大衆の欲望に応えているだけだ。

 責任者が罰を受けたところで、事態は1ミリも改善しない。
 問題はそのまま残り続けている。
 結局、じつはだれも責任を取っていないのである。

「責任を取る」と「罰を受ける」は、まったく別のことである。
「責任を取る」とは問題に対処すること。
 責任者とは「問題への対処を引き受ける専門職」にすぎない。

 もし責任者が、問題が起きたときに罪を押しつけるための「スケープゴート」を意味するなら、そんな立場にはだれも就きたがらないだろう。

 若手社員が管理職になるのを嫌がる組織では、このように「責任を取る」の意味が歪んでいる可能性が高い。

 また、このようなマインドを持ったまま管理職になってしまうと、日々悩むことになるのは当然だ。だれがそんな罰ゲームのような仕事をやりたいだろうか。

 マネジャーとして部下たちと関わりながら、余計な悩みにはまり込まないようにするには、「責任者」に対する発想の転換が必要となる。

「出世する人」のたった1つの条件

 前節で見たとおり、人はすべての出来事を「自分の責任」と捉えることができる。

 しかし、その責任をどこまで果たすかは、本人の意志次第だ。

 自分自身が「原因」となっている問題の「責任」だけしか取りたくない人もいるだろう。

 また、自分のせいで問題が起きても、その責任を自分で取れない人もいる。

 典型例は子どもや障がい・病気がある人だろう。
 小さな子どもは、一緒に遊んでいた友達にケガを負わせたとき、自分で責任を取ることはできない。だから親が責任を果たし、その問題に対処することになる。

 仕事の場面でも、だれもが同じように責任を取れるわけではない。
 一人で大きな問題に対処するスキルがない人(新人など)、また、そもそも問題に対処する意志がない人(他責に逃げたくなる人)が存在する。

 一方、自分の仕事の領域を超えた問題にすら、責任を取る覚悟がある人がいる。
 あるいは、他者が原因となって起きた問題にまで対処できてしまう人がいる。これが本来の意味での「責任者」である。

 責任者の仕事は、「責任を負いたくない人」や「責任を負えるだけのスキルがない人」の代わりに責任を負うことである。

 たとえば、2人の部下のミスによって問題が発生したとしよう。

 一方の部下はベテラン社員だが、「私の責任ではありません!」の一点張りで話にならない。

 もう一方の部下は、事態をなんとかしようとしているが、なにぶん経験が浅いため問題に対処しきれない。

 そんなときに、「責任を取る専門職」である責任者は代わりに問題を引き受け、適切に対処していくのである。こういう人だけが組織で出世していくのだ。

責任者の給料が高い本当の理由

 したがって、責任者がその立場を任されているのは、ほかの人より「大きな問題に対処する能力」を持っているからである。

 一般に、企業では大きな問題を解決するほど、大きな利益(あるいはより大きな損失回避)につながる。
 それゆえ、責任者は通常、一般メンバーより多くの報酬を約束されている。
 そして、より大きな問題に対処できる責任者ほど、大きな報酬を受け取ることになる。

 これが「責任者の給料が高い」本当の理由である。

「責任を取る=罰を受ける」という世界観に縛られている人は、昇進・昇格するほど給料が上がっていく理由を「ツラいことに耐えた分の報酬」として捉えている。

 しかし管理職の給料が高いのは「我慢料」だからではない

 逆に、責任者の立場にあるにもかかわらず、「全部自責」の思考アルゴリズムを持たず、状況に応じて「これは自分の責任ではない」と言い訳をしているなら、本来その人は「責任者失格」である。

 対処すべき問題に対処しないまま、人より高い給料を受け取っていることになるので、ある意味では「得」をしているといえる。

 経営者から見れば、こういう人を責任者のポジションに置いているのは「損」以外のなにものでもない。

「抜擢」される人、されない人の分岐点

「長年、仕事をしているのに、いつまで経っても昇進しない」と悩んでいる人は、

 ・「全部自責」の思考アルゴリズムを持てているか?
 ・十分に広い(自分を超えた)範囲の責任を果たそうとしているか?
 ・その責任を果たせるだけのスキルが身についているか?

 を振り返ってみるといいだろう。

 いつまでも一般社員のままで、マネジャーに抜擢されない人は、「全部自責思考」を身につけられていないのかもしれない。

 いくらビジネス上のスキルが高くても、「他自責混在思考」が見え隠れする人には、責任者は任せられない。

 私の経験からすれば、「全部自責思考」ができる人は、10~20人に一人程度。

 だから、思考アルゴリズムを切り替えるだけで、責任者に抜擢される可能性を一気に高めることができる。

 また、一定レベルの管理職になったものの、そのポジションのまま停滞している人は、より広範囲の責任を果たそうとする「意志」が欠如しているか、責任を果たす(=より大きな問題に対処する)ための「スキル」が欠如しているかのどちらか(または両方)である。

 そこがボトルネックとなって、「(これより上のレベルの責任者は任せられないな……)」と判断されているわけだ。

 とはいえ、誤解しないでほしい。

 私はここで「幅広い責任を果たせる人のほうがすばらしい」「大きな問題を解決できる人のほうが偉い」と言いたいわけではない(もちろん、経営者目線では、そんな人材がいてくれるほうがありがたいのは事実だが)。

 本書の目的である「悩まない」という観点からすれば、重要なのは「自分がどこまでの責任を果たすか」を自ら決め、それに集中することである。

 他者がどれだけの責任をどれくらい果たしているかは気にしなくていい。
「自分が何の責任者になるのか?」は自分で決めればいいのである。

 ・自分だけの責任者
 ・自分の家族・チームの責任者
 ・自分の部署の責任者(部長・課長など)
 ・自分の会社の責任者(社長、役員など)
 ・自社の業界の責任者(業界団体のリーダーなど)
 ・自治体の責任者(市長・村長・地方議員・首長など)
 ・日本の責任者(総理大臣・国会議員など)

 実際にこのような役割を担っていなくても、まずはその責任者の意識で行動してみよう。

 それに見合った責任を果たせることを示せれば、たいていの役職は後からついてくる。

(本稿は『「悩まない人」の考え方──1日1つインストールする一生悩まない最強スキル30』の一部を抜粋・編集したものです)