奥州は馬・鉄・矢羽を産出
軍事物資を一手に押さえた藤原氏

 また武士の主戦兵器の弓だが、敵を傷つけるのは弓から放たれる矢である。矢の本体である矢柄は竹であり、これはいろいろな場所で取れる。しかし矢の性能を大きく左右するのは、矢羽だ。いい矢羽は矢の軌道を確かなものにし、命中率を上げる。これにはワシ・タカ類の羽が用いられた。

 実はこのワシ・タカも東北地方の重要産品だった。今でも天然記念物のワシやタカの生息地は東北に多い。奥羽の鷹の羽は上物として珍重され、武家の家紋でも「鷹の羽紋」は人気があった。

 最後は鉄である。意外かもしれないが、中世以前の日本は鉱物資源が豊富な国とされ、戦国時代ごろは日本刀が重要な輸出品だった。しかし鉄の産地はきわめて限られていて、近世まで続く有力産地は北上山系と出雲地方であった。

 いずれも花崗岩質の地層から砂鉄となって現われ、採集されるが、平泉の近くには“砂鉄川”という川まであり、江戸時代まで製鉄が盛んで、これが明治維新後の釜石製鉄所建設につながる。

 鉄は刀や矢じりの原料であり、こうしてみると奥州は馬、矢羽、鉄という当時の重要軍事物資全ての生産地だった。現代で例えると、戦車と弾丸と銃砲を全て生産しているようなものだ。そして、この軍事物資を一手に押さえたのが藤原氏だった。

 奥州藤原氏の拠点だった平泉町の最寄り新幹線駅は東北新幹線一ノ関駅(自治体名は一関)で、駅から車で10分ほどの国土交通省の施設「北上川学習交流館あいぽーと」では北上川流域の歴史や治水の状況が学べる。

 そこで分かるのは、平泉を含む一関周辺は盆地になっており、北上川の洪水時には広い水田のほとんどは水没してしまうということ。古くは水害で多くの犠牲者を出したが、現在では氾濫域と居住域を分けることで、人的被害を極力抑えている。

 このような洪水が起きる原因は、一関から下流28キロにわたって続く、「狐禅寺(こぜんじ)狭窄部」という峡谷のためだ。峡谷の狭い場所は70メートルの幅しかなく、上流に大量の雨が降るとここで流れが詰まり、一関周辺の北上川の水位は10数メートルも上がってしまう。皮肉なことにこの狭窄部こそが、藤原氏の繁栄をもたらした。

北上川と平泉、狭窄部の位置関係北上川と平泉、狭窄部の位置関係 拡大画像表示