福沢諭吉が教える、
未来のリーダーをつくる3つの条件

 福沢諭吉は19歳の頃、ペリーの黒船が来航したことでオランダ語を学ぶことを兄から勧められ、長崎に遊学したことがのちの大活躍につながりました。

 ある意味で大きな変化に直面したことが、彼自身に新たな能力を身に付けさせることにつながったのです。その後、諭吉は長崎と大阪で蘭学書を読み研究する生活を続けることになりますが、彼は海外を知り、江戸幕府の視野の狭さを痛感していきます。

 日本の歴史初のアメリカ使節団として、咸臨丸に同乗したのはあまりにも有名ですが、その後渡欧(1862年)、そして再度の渡米(1867年)をしています。

 幕末の当時としては、極めて珍しく諭吉は「外側から日本のパラダイムを見る」体験を積んでいることがわかりますが、先駆者として彼は多くのメリットを得ることになります。以下の3つの条件を満たす人こそ、未来のリーダーになれるのです。

(1)新しい知識や変化を集団に導入できる人

 蘭学を学び、海外渡航の経験を持つことで、下級武士の家に生まれた諭吉は、その知識と経験を買われて中津藩、あるいは幕府内でも重要な役割を担うことになります。

 彼が1863年に書いた著作『西洋事情』は、当時珍しい世界の事情を詳しく教えてくれる書として飛ぶように売れ、のちの大政奉還や明治維新の呼び水となったと言われています。

(2)古いパラダイムに毒されず、見えないものが見える人

 諭吉は米国や欧米各国を歴訪することで、先進国の進んだ文明の科学技術が、一般庶民である中産階級からどんどんと生まれていることを理解します。

 何でも御上(江戸幕府)任せの古い日本社会では考えられないことで、維新後に書いた『学問のすすめ』では、国民全員が国家の進歩に貢献できることを特に強調しています。

(3)山積みの問題を解決する、新たなパラダイムを発見できる人

 諭吉は、複式簿記や西洋の保険制度を日本に最初に紹介した人物としても知られています。明治維新後の議会政治についても、その導入に尽力しています。

 古いパラダイムは、そのパラダイムでは解決できない問題を明確にしていきますが、日本を外から眺めることで、どのようなパラダイムに侵されているかを諭吉は理解したのでしょう。

 現代では自らの会社やビジネスを外から眺める経験が、新しいブレイクスルーを生み出すのと同じ意味だと考えることができます。