「挑戦者」になれば
勝てるわけではないのはなぜ?
福沢諭吉の『学問のすすめ』は、140年以上前に日本人に「挑戦者」の意識を、戦争に敗北していない明治初期にも関わらず日本全国に浸透させた奇跡的な書籍だということもできます。
当時、諭吉は「日本が西洋列強に勝てる点があるか、何もない」と述べていますが、だからこそ学ぶことによって、日本人が挑戦者としての意識を強く持つことで、この国は新しい未来をつくり出すことができるのだと語ったのです。
しかし、注意しなければいけないのは「挑戦者の立場」になれば、必ずしも勝利できるわけではないということです。劣勢になれば、負け戦が続けば、自動的に挑戦者になれるわけではないのです。
重要な点は「アタマの中と意識が挑戦者として転換しているか?」ということです。
負けていると口では言っても、謙虚さも新たな学びへの意欲もまるでない人がいます。それでは、新しい時代に勝つことは、まず不可能でしょう。「挑戦者」とは状態ではなく、頭の中と意識や気概のことなのですから。
事実、世界の頂点を争うような企業は、トップに立っても「挑戦者」の意識や姿勢を一切失うことがありません。世界初の市販ハイブリッド自動車を発売したのは、自動車販売台数で世界一位のトヨタ自動車です。
スティーブ・ジョブズが復帰したのちのアップルは、世界有数の企業であったにもかかわらず、未来への挑戦を止めませんでした。「挑戦者」であるからこそ、彼らは世界一の企業であり続けたのです。
慢心と傲慢さは、自らの姿勢を振り返ることをせず、現実を冷徹に受け止めることを否定します。しかし、そのような傲慢さを持つ集団や個人が、時代の大変革で消えていく立場になることは、歴史が長い時間で証明してきたことではないでしょうか。
東日本大震災後、「第3の敗戦」と呼ばれる現在こそ、日本人と日本企業は「挑戦者」に戻るべきなのです。再度のグローバル化をした世界で謙虚に学び、挑戦者としての強い気概を持ち、新たな豊かさと成功に向かって邁進すべきです。
そのためには、私たち日本人が「真の意味での挑戦者」になる必要があるのです。