僕は子どもの頃から自意識が強くて、だから口下手なので言いよどんだりすると、どう思われるのかとか、恥ずかしいという気持ちがすごく強かったんです。ずっとしゃべりが下手だという思いでジクジクしていました。もちろん、何かで発散したいという気持ちがあって、女の子にモテるとか、スポーツ万能とか、勉強がすこぶるできるとかなんでもいいんですが、でも何一つ青春のときめきがない悶々とした世界でした。

 それが突然しゃべりで、活火山が噴火したような気持になったわけです。本当にひとすじの光が舞い降りたような気がして、そこから歯止めがきかなくなり、アナウンサーを目指すことになりました。

 そのときに言葉がスムーズに次から次に出てきたのは、プロレスが好きだったからというだけです。毎週、テレビの実況を見て、無意識のうちにイメージトレーニングをしていたんだと思います。実際には口に出さないけれども、頭の中で実況していた。

『伝えるための準備学』ではないですが、やはり何もないところからは生まれないので、知らないうちに準備をしていたのでしょう。

若者言葉も収集、
言葉を豊かにする習慣

――古舘さんが次々に繰り出す言葉、言い回しなどはどのように収集、記憶しているのですか。

 言葉が好きだというのは、子どもの頃に気づいていました。「少年マガジン」を買って、プロレスマンガやプロレスの特集を読んで、プロレスラーの情報を言葉で覚えて、それからプロレス自体を金曜夜8時に日本テレビで見ていました。

 中学の3年間は毎日欠かさず「東京スポーツ」を買っていました。その中で「馬場、死のボート漕ぎ!」とか、キャッチーな言葉を収集していましたね。