インベスターZで学ぶ経済教室『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク

三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第128回は「幸運」を手にするために欠かせない心構えを説く。

零細企業は辛いよ…ゴリ押しの値引き交渉

 主人公・財前孝史は目当ての物件の交渉の席で、地主の前に5000万円の現金を積み上げて見せる。「金では転ばない」と機嫌を損ねる地主に、現金を示すからこそ子どもでも信用を勝ち取れるのであり、「お金は人間の信用そのもの」と言い切る。

「お金=人間の信用」論は少々疑問だが、価格交渉において現金の力は強い。

 40年ほど前、父が営む零細看板屋の取引で「現金払い」の威力を何度か目撃した。たとえば100万円の仕事を終え、集金に行く。相手が示すのは「半金半手」。半分を現金、残りを手形で払うという。手形はすぐに換金できないので受け取れば資金繰りは苦しくなる。

 それを見透かして相手は「2割値引きなら全額現金で払う」ともちかけてくる。年中金欠だったので、値引きに応じることが多かった。「半年分でも手元資金があれば無茶な値引きを避けられるのに」と感じたものだが、膨大な借金を抱えた我が家にそんな余裕はなかった。

 もっとも、父もやられっぱなしだったわけではない。値引きを見越して、あらかじめ「下げしろ」をのせて見積もりや請求書を出していた。ふっかける父も、値引きさせて喜ぶ相手も、「してやったり」とお互いが思える不文律のゲームだったようにも思える。

 父が何度か集金の場に中高生だった私を連れて行ったのは、社会勉強というより、子連れなら相手が値引き交渉に手心を加えるという期待があったのだろうか。あるいは単に自分で札束を勘定するのが面倒だったのかもしれない。

 いずれにせよ、中学生で帯封付きの100万円を手にしたことは「お金ってしょせんは紙の束なんだな」と実感する良い経験になった。

一点物の高級品「ホンマは売りたくない…」の苦渋

漫画インベスターZ 15巻P73『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク

 大人になってからは、支払う側で「現金払い」の力を知る機会があった。長年の趣味のビリヤードを本格的に始めたばかりの20代の頃。当時は大阪の江坂に住んでいて、駅前に行きつけの店があった。

 店のマスターは「サウスウエスト」というメーカーのキューのコレクターだった。カスタムキューと呼ばれる一点物の高級品であり、当時でも1本最低20万~30万円、モノによっては100万円超の逸品もあった。

 そのうちの1本に私は惚れこんだ。マスターの提示価格は35万円で「ホンマはそれでも売りたくない」と渋っていた。なかなかの出費になるので買うか迷っていたある日。空いている時間に店に顔を出すと、ポツンと店番していたマスターの表情がさえない。

 聞けば、経営が苦しく、今月の店の家賃が払えないという。「家賃、いくらなの?」「23万円」。私は「今すぐキャッシュで23万円用意するから、あのキューを譲ってもらえないか」と持ち掛けた。交渉は成立し、私はすぐに近所のATMに走った。

 マスターはその後も家賃のためにコレクションを何本か手放したが、結局持ちこたえられず、郊外に店を移した。移転先も1年ほどで経営が行き詰まったと聞いた。

 その時入手したカスタムキューは今も普段から使っている。サウスウエストは新規注文なら数年待ちも当たり前という人気メーカーで、しかも私の所持品はジェリー・フランクリンという若くして亡くなった名匠の数少ない遺作だ。性能はカーボン製の最新型に劣るけれど、骨とう品のような希少価値からコレクターの人気は高い。

 先日、友人のビリヤードプロが渡米した際、カスタムキューの販売イベントを覗く機会があったそうで、私のキューと同等の品は1万ドル以上の値段が付いていたそうだ。

 23万円の現金払いで入手した逸品は6倍以上に化けた計算だが、四半世紀前のマスターの心境が今は分かる。目の前に現金を200万円積まれても、売りたくない。モノへの執着は薄い質なのだが、手になじみきった相棒を手放す気には、とてもならない。

漫画インベスターZ 15巻P74『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク
漫画インベスターZ 15巻P75『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク