中国四川省雅安市芦山県で、20日午前中国時間8時2分、M(マグニチュード)7.0の地震が起きた。中国メディアの速報によると、多数の家屋が倒壊し、多くの死傷者が出た、という。ちょうど出張で中国にいた私も多くの中国人と同じように、すぐに 2008年5月12日、同じ四川省で起きたM8.0の地震を思い出した。当時、死者・行方不明者が9万人近くにものぼったという甚大な被害が出ていた。
取材関連の仕事で山東省青島市を訪問中の私は、実は19日の深夜、いや、正確に言うと、20日の未明に、飛行機で3時間もかかって広東省深セン(センの字は土篇に川)市にやってきたところだ。日中関係を語る番組のゲストとして、「深セン衛視」(深セン衛星テレビ局)の出演依頼を受けたからだ。
そのため、期せずして、緊急事件発生時の中国メディアの報道態勢やその動きを裏側から体験できた。今回の原稿も急きょ、もともと考えていたテーマをあとまわしにして、この出演体験を先に取り上げることにした。
番組収録予定は変更せずが……
予定では、20日午前11時、テレビ局から出迎えの車が来て、テレビ局の職員食堂で関係者たちと一緒に打ち合わせを兼ねての昼食。午後1時半にスタジオ入りしてメークにかかり、2時頃から番組の収録が始まる。ゲストは日本からやってきた私と、北京からのゲストと台湾からゲストの3人だ。
地震発生後、深セン衛視は直ちに地震発生地の中継映像や、電話インタビューなどを中心にリアルタイムの報道を始めた。しかし、次の週の月曜日に放送される予定の私たちの番組の収録は変更せず、一応、スケジュール通りに進行することとなっていた。しかし、今までの日本での経験から、私は番組の収録スケジュールが急に変更される可能性が大と秘かに覚悟していた。
2時過ぎから、番組収録が大きなデジタル・スタジオで始まった。このタイプのスタジオは現在のところ、深セン衛視には一つしかないので、番組収録が始まる前から、3時と4時に、それぞれ20分間くらいスタジオを地震現場の生中継に使わせなさいという指示が、テレビ局の上層部から降りていた。こちらの番組は3つのパーツに分かれる構成となっているので、その3つのパーツを一つずつ収録するとなるだろう、と予想していた。