多数決の欠陥が
政党に影響を与えている
多数決が票の割れの影響を強く受けることは、政党政治のあり方にきわめて強い影響を及ぼす。
政治学には、「小選挙区制の多数決選挙のもとでは、政党政治のあり方が二大政党制に近づく」という予測がある。野党が票の割れを避けるために連合する、有権者が死票を避けるためセカンドベストの政党に投票する、というのがその予測が成立するための前提だ。この予測は、唱えた人の名を冠して「デュヴェルジェの法則(Duverger’s law)」と呼ばれている。
デュヴェルジェの法則は「法則」と呼べるほど一般的に成り立つものではないが、大雑把には、そのような傾向が諸国で観察されている。
仮にデュヴェルジェの法則が完全に成り立つならば、小選挙区制のもとでは二大政党からしか候補が出ないので、票の割れを問題視する必要はない。しかし完全でないなら、つまり弱小でも「第三の政党」が現れるならば、それが選挙結果を逆転させうる、というのがネーダー立候補の教えるところだ(ネーダーについては第4回参照)。
「票の割れ」のせいで
与党も野党も連合せざるをえない
2014年の日本の衆院選では、有力野党の民主党が維新の党と選挙協力をしたが(選挙区ごとに棲み分けた)、それとは別に共産党が「第三の政党」として候補を立て、やはり票の割れが起こった。そして、そのときの共産党の得票率は13%を超しており、結果に与える影響力はネーダーどころではない。
2016年の参院選では、共産党も、野党間で選挙協力する方針を表明した。さらには民主党が維新の党と合併して、新たに民進党がつくられた。いずれも選挙制度が政党に与える圧力の結果だ。だが資本主義に異議を申し立てたい共産主義者や、維新の党なんてまっぴらな旧民主党支持者は、どの党に投票すればよいのだろう。
多数決の選挙だと票の割れが起こるから野党は連合せざるをえない。これは与党だって同じである。国益から人類益への転換を目指す公明党は、美しい国を目指す自民党と、はたして思想の親和性が高いのだろうか。多数決は人が使う決定の道具のはずだけれど、道具に人が翻弄されていやしないか。
ハサミが持ち手にあの指の形と動きを求めるように、あらゆる道具は使い手に特定の動作を強要する。多数決が私たちに強いる動作は、ひどく奇怪で息苦しいものになってはいないか。