試験参加者は3群に分けられ、それぞれの群が、水不足の問題が生じている架空の学校についての記事を読んだ。
ただし、1つ目の群が読んだ記事には、十分な水がある別の学校と合併すべき理由のみが、2つ目の群が読んだ記事には、十分な水がある別の学校とは合併せずに他の解決策を期待すべき理由のみが述べられていた。3つ目の群(対照群)が読んだ記事は、学校の合併に関する議論と、別々にとどまるための議論の両方が述べられた完全な内容の記事だった。
その結果、半分の内容の記事しか読んでいない1つ目と2つ目の群の参加者は、それでも「自分は確固たる決断を下すのに十分な情報を持っている」と信じ、読んだ記事の推奨に従うと答えたことが示された。
Fletcher氏は「本来の情報量の半分しか持っていなかった参加者の方が、全ての情報を持っていた参加者よりも、合併するべきか、別々にとどまるべきかの決断に対する自信が大きかった。彼らは、全ての情報を持っていなかったにもかかわらず、自分たちの決断は正しいと確信していた」と述べている。
さらに、半分の情報しか持っていなかった人は、「他のほとんどの人も、自分と同じ決断を下すだろう」と考えていたことも判明した。
全ての情報が提供されても
人は考えを変えるとは限らない
しかし、この実験では、一筋の希望の光も見えた。研究グループによると、記事の半分だけを読んでいた人の中には、その後、残りの半分の情報を読んだ人もいた。そうした人の多くが、自分の意見を変えることに抵抗を示さなかったという。
ただしFletcher氏は、特に、固定化したイデオロギー的立場に関連する問題に関しては、全ての情報が提供されたとしても、それによってその人が考えを変えるとは限らないと指摘する。なぜなら、このような場合、人は新たな情報を信頼できないものとして切り捨てたり、既存の見解に合致するよう再解釈したりするからだ。
「とはいえ、人間関係での衝突のほとんどはイデオロギーによるものではない。日常生活の中で生じる、ちょっとした誤解が原因だ」とFletcher氏は話す。そして、「自分の立場を表明したり決断を下したりする前に、自分がその状況について十分に理解しているかどうかを確認する必要がある」と述べている。
同氏はさらに、「この研究で明らかになったように、人には、関連する事実を全て知っていると思い込む思考パターンが備わっている。よって、誰かと意見が合わないときには、まず、相手の視点や立場をもっとよく理解するのに役立つ何かを見落としていないかを考えてみるべきだ。それが『情報の十分性の錯覚』と戦う方法だ」と助言している。(HealthDay News 2024年10月10日)
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