外貨獲得で半導体・鉄鋼レベルに! 50兆円をゲットだぜ!日本のゲーム#10Photo by Yoko Suzuki

ソニーが「ゲーム&ネットワークサービス」なるゲーム事業を中核とするセグメントを新設したのは2014年のこと。現在ではソニーのゲーム事業は、それまでグループの主体だったエレクトロニクス事業を上回り、連結売上高の約3割を占めるまでに成長している。特集『50兆円をゲットだぜ!日本のゲーム』(全25回)の#10では、エレクトロニクスの会社からゲームの会社に変わったソニーが、今後どこへ行こうとしているのかを探る。そして、ゲーム会社として見た場合のソニーの強みと死角を、長期財務分析を基に検証した。(ダイヤモンド編集部 鈴木洋子)

ソニーの革新性代表だったゲーム事業とプレステ
“30歳”を迎えた異端児事業はいまや中核事業に

 1994年12月3日。平成バブルが終わりを迎えていた30年前の冬の日、ソニーが初めて世に出すゲーム機「プレイステーション(PS)」を買い求めるため、東京・秋葉原の電器店店頭では数百人が徹夜で列を作っていた。

 PSは、もともと任天堂の新型機プロジェクトで、ソニーは同社にCD-ROM部品を納める契約を結んだパートナーだった。ソニーを警戒した任天堂からその契約を解除された後、「単独でもPSを開発し、ゲーム事業に参入すべきだ」と主張し、当時の大賀典雄社長(故人)を説き伏せたのが、後にソニーの副社長となる久夛良木健氏だった。

 当時、ゲーム事業を始めることに対してソニー社内は猛反対、ゲーム業界からの支持を取り付けることにも苦戦した。にもかかわらず、発売後わずか4年の99年3月期、ゲーム事業はソニーの連結営業利益のなんと40%をたたき出すなど、大成功を収める。

 ソニーのゲーム事業は、その始まりから「異端児」でありながら全社収益を確実に支え、ソニーの革新性と将来性を象徴するかのような事業でもあり続けた。

 2003年にはPS2の技術を応用した家庭用セットトップボックス(ゲーム機とDVDレコーダーが合わさった、家庭内のデジタルハブ)であるPSXを発売。さらに東芝と提携してPS3に搭載するプロセッサー「CELL」を自社開発、自社生産した。当時は、PS3のみならず、これを広く家電や自動車に搭載し日本発の汎用プロセッサーとして量産する計画もあった。

 ただ、久夛良木氏が描いたこれらの壮大な絵図は実現しなかった。社運を懸けたPSX事業は失敗。Cellプロジェクトも頓挫。さらに06年度から09年度はPS3の開発コストを回収できずゲーム事業も営業赤字に沈む。ソニー本体の社長候補となっていた久夛良木氏は、ここで失脚した。

 久夛良木氏が去った翌年の08年、ソニーはエレクトロニクス事業の巨額損失で当期赤字に沈み、苛烈なリストラに迫られる。11年に東日本大震災で再度苦境に陥った後の14年、ソニーは「ゲーム&ネットワークサービス(G&NS)」というセグメントを新設した。それまで関連会社事業の位置付けだったゲーム事業を、初めてソニーの中心に置いたわけだ。

 それから10年。テレビやデジタルカメラなどのエレクトロニクスの会社であったソニーは、紆余曲折を経て名実共にゲームの会社になった。24年3月期は売上高の33%、営業利益の24%がゲーム事業で、どちらも全セグメントで最大規模だ。

 30年分の財務諸表を徹底分析して判明した、ソニーのゲーム事業が構造的に抱える強みと弱みとは何か。そこからは、ソニーがゲームにおいて「旧来のもうけ方」を捨てていることが分かる。さらには、次世代期のPS6では大きくビジネスモデルを変えてくる可能性も見えてきた。次ページで詳しく見ていこう。